
生き延びるには、いや、生き延びるためにはどんな仕事でもしたっていいんだ、「食えなくなったら盗っ人になっても良いんだ」と故吉本隆明さんが恩師の言葉として紹介していた。私もその言葉が偉く気に入ってずっと心の引き出しにしまっておいたのだ。
食っていくためにはどんな仕事をしてもいいんだ。そう思うとフッと体が軽くなるような感覚が自分の中にあって心地よかった。移動できる自由。ずっと同じところにいて同じ人と顔を突き合わせて仕事をしなくて済む。oasisの「whatever」と言う曲にも「何になってもいいだ」と言うような歌詞があって、人はどの年代になってもそうありたいものだと今でもそう思う。
そんな私はもう48歳になろうとしているところだった。仕事の上司と仕事面でギクシャクし始めどうも自分の思うような仕事ができなくなっていた。このままでは仕事が成り立たなくなるし自分も精神的に参ってしまう。そんな日々を送っていた。
そんな時に私は「食えなくなったら盗人になっても良いんだ」と言う言葉がリフレインされ「そうか。仕事はたくさんある。生き延びるためには仕事はたくさんあるじゃないか」と思ったのだ。生き延びよう。私の目的は生き延びることが一番となった。
そう目的を決めたらじゃあ自分のスキルは何がある?となるわけで、ちょうど僕の手持ちには大型一種自動車免許というのと危険物取扱者乙種4類と言うのがあることを思い出したのだ。これにあと牽引免許を取ればタンクローリー に乗れるな、と考えた。そこから行動は早かった。速攻で教習所に申し込みをし教習代を振り込んだ。
ここが重要なのだが、仕事を辞めないで仕事終わりに教習所に通って牽引免許を取りに行きつつ求職活動をした。短気を起こして仕事を先に辞めてしまって仮に転職先が見付からなかったら万事休すである。48歳が無職で路頭に迷うと言うことはイコール「死」に近いものがある。それだけは避けたかった。
生き延びるためには何でもやろう。そう思って仕事終わりに教習所へ通った。トレーラーいわゆる牽引免許の一番難しいところはバック(後退)である。ハンドルとは逆の方向に曲がっていくのでその感覚を掴むまでが至難の技である。これには本当に泣かされた。教官からは「悲壮感が漂っていますよ(汗)」と言われる始末。こうして私の転職活動がスタートしたのだった。