転職することに無駄なんてないーその1ー

48歳で異業種へ転職すると言う大ジャンプをした自分にとって、さて、この転職が自分にもたらしたものは何だったんだろうとよく考える。先の投稿で私は「転職は失敗だった」と書いた。そう失敗こそが最大の収穫だったのかもしれない。

失敗というのは狙いを定めるように「失敗したいからしてみたい」とできるものではない。予測不能な何かの集合体、それが「失敗」である。この予測不能なものによって人は悶え苦しみもするが意外なものとの出会うこともできる。この意外性が人を成長させるのだ。

私の最大の収穫とは、久しく出会ったことのなかった自分に出会えたことである。大型トラックに乗るのもタンクローリー の仕事をするのも初めてであった。先輩方から厳しく指導される中で自分の頭の中で考えていることと実際の行動が合致せず「おや?これはおかしい。体が動かない」という感覚を味わった。じゃあ体が動くようにするためにはどうすれば良いか。それは練習に次ぐ練習をするのみであった。体を動かして動きを体に覚えさせる。こんな感覚は子どもの時以来だろう。

収穫物は他にもたくさんある。荷積みから荷下ろしのルーティンが体に染み付いた時に、そのルーティンを着実に守ろうとする自分の身体と脳が出来上がっていたということだった。エンジンを停止する。ヘルメットをかぶる。所定の位置にゴム手袋と伝票を置く。たったそれだけのことだがその一つでも欠けると途端に不安になって動きが止まってしまう。これは自閉症の青年たちが一つのことにこだわりを見せ、日々ルーティンとして行う行動と同じだと気づいた。私は現在の仕事で自閉症の青年たちを支援する仕事をしているが、私の中にも自閉的な部分があるということを知ってからというもの彼ら彼女らを支援する考え方が変わった。

眠いのを除けばトラックの運転はすごく楽しかった。今でも自分が独り立ちした時の喜びは忘れられない。48歳にして小学生男子のような清々しい達成感をその時味わえた。これも収穫であり、転職は無駄ではなかったと言える出来事であった。

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