「明日は我が身」交通死亡事故を目の当たりにする

仕事も独り立ちをし積み込みや荷下ろしもだいぶ慣れてきた頃だった。積み場に到着しいつもの通りにハッチと油種を確認していざ積み込もうとしていたところに別の会社のドライバーが紅潮した面持ちで

「今そこの道路でローリーが人を引いたのを見た。救急車でなくパトカーが来てたから死亡してるな」

積み場から現場の方に目をやるとパトカーの赤色灯が見えた。その事故現場は工場入り口前の信号のない横断歩道のところだった。教授からは「ここを渡る人は絶対止まらないと思ったほうが良い。それを見越してこっちが止まれ」と横乗り時代に注意されたことがある。まさにそこで起こった死亡事故だった。

どんな状況下で事故が起こったのかは分からない。推測で語るのは良くない。ただ1つ言えるのは、当事者にとっては悲劇であるということである。事故を起こしたくて起こす人は誰一人としていない。

帰庫して私は少し興奮しながら先輩ドライバーにこのことを話した。するとその先輩は特段驚くこともなく逆に興奮気味に話す私をいなすように

「明日は我が身だな」

と言った。その発言の裏には、常に危険と隣り合わせの仕事をずっとしてきた者の言葉の重みというのがあった。私は話題性が最初にきてしまった自分を恥じた。そうか、明日は我が身なんだと。そして家に帰ってもその言葉が頭から離れず「どうしたら事故は防げるのか?自分だったらどうしていたか?」とグルグル考えを巡らせるのだった。

その日は交通心理学の本を読み直して寝た。その本には事故を減らすには「しっかり止まってしっかり見る」と書いてあった。

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