当て逃げの嫌疑をかけられる

独り立ちをして配送を任されている頃だった。とある行き慣れたスタンドから「おたくのローリーがうちの車にぶつかったみたいなんだけど」とボス宛に電話があった。私はちょうど他のスタンドで荷下ろしをしている最中だったが、全く身に覚えがなくボスからその話を聞いても「当ててません。当たってたらわかりますし。それにかなりスペースに余裕を持って出入りしました」と答えるしかなかった。だって当てていないのだから。

結論から言うと、現場検証を双方で行い「嫌疑不十分」だった。当然私も立ち会った。その当時スタンドに置いてあった通りに車も配置した。それでローリーを当時の状況で出入りさせた。ローリーをどう動かしても車に当たる可能性はゼロ。仮に当たったとしていても、その車の破損箇所に該当するローリー側の接触場所は完全にずれていた。それでもそのスタンド社員は「それでもローリーが当てた」と言い張るのだった。私は自分で言うのもなんだがかなり運転には慎重で何かに当たりそうだったら必ず下車確認をする。だからまず当たると言うことは考えられないのだった。

にもかかわらずボスも相手の言い分に流され「お前、当てたけど気づかなかっただけじゃないか?」と疑ってきたのがとてもショックだった。「あ、おれ信用されていなんだ」と悲しくなった。大型トラックが乗用車に接触したら擦り傷では済まないことはボスも知っているはずだ。目の前にある傷は何かで擦ったようなわずかな傷だ。主任までもが「お前、本当のところはどうなんだ?」と聞いてくるし。本当に残念でしかたなかった。結果どうなったかというと、双方の検証から私の運転していたタンクローリー がその乗用車に当たった可能性はゼロ、となった。

この時学んだのはとある嫌疑をかけられた犯罪者が無罪を主張していたにもかかわらず自白を強要され有罪になってしまうケースである。自白を強制されたことに対して「やっていないなら自信を持って無罪と言えばいいのに」と簡単に思っていたが、今回の疑いで「お前やったんじゃないの?」と疑い続けられると「もしかして・・・」と段々と洗脳されていく感覚を体験したことだ。人間社会とは本当に怖い、と言うことをまざまざと体験した。

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