メモから分かる自分

2年前から手帳に何でもメモすることを習慣づけた。それ以前は手帳を買っても月間予定のところだけ書き込むだけで終わっていた。2割使って残り8割は白紙だった。それが今では逆転して8割メモをしている。何故そうなったか。実はSNSの書き込みでこういうのがあった。「不平不満なんでも文字にしてメモにする。その日あったことをなんでも良い書き込んでゆく。自分の文字とそこに現れた自己と対峙する。毎日15分メモ帳と向き合う。これがすごく効果がある。」というものだった。確かサウザーさんhttps://twitter.com/Fist_of_Phoenixだったと思う。早速これをやってみた。それが今では8割メモで埋め尽くされた手帳の出現である。

なんでも良い。その日あった良いことも悪いことも素直に文字にしていく。「ふー、今日は疲れた」「〇〇さんからお礼の言葉もらった。嬉しい!!」「筋トレやったぞ」「明日したいこと①、②」「昨夜は寝つきが悪かった。珍しい」「あいつ最悪だな」などなど、とにかく思ったことを書いていく。何を書こうかではない。思いつくままに書くのだ。そしてこのメモを残す際に1つだけルールがある。それはメモの最後にその日の日付を書き加えること。「映画パラサイト観たい2020.02.21」のように。このように一見無造作に見えるメモの取り方でも、メモが段々と集積されていくと自分の中にある法則性というものが垣間見えてくる。それが自分が分かる、ということなのだ。

無造作に書き込んでいるように見えて実はそこには自分の無意識の世界から有意識の世界への移行の過程が含まれている。物事に対する認識や実感が私の思考回路を通ってどうやって文字化されるか。文字化されたならそこにはどんな意味が現れているのか。文字化されるということは社会化されるということも含まれるので社会との関係性も垣間見えてくる。

最後に、では、これはパソコンやスマホ上でも良いじゃないか、別に手帳じゃなくても良いじゃないという声が聞こえてきそうだ。そこはあえて言わせてもらうと、手帳に手書き出ないと意味がないのだ。学術的にはそもそも文字は3次元の造形から想起され発展してきたとある。世界の文字を分析するとある一定の形に集約され、それは3次元空間のあり様と関連している。詳しくは『新記号論 脳とメディアが出会うとき』石田敬英 東浩紀(ゲンロン)新記号論 脳とメディアが出会うとき (ゲンロン叢書) https://www.amazon.co.jp/新記号論-脳とメディアが出会うとき-ゲンロン叢書-石田-英敬/dp/4907188307を参照願いたい。3次元に生きる人間として3次元の文字で表現することが大事なのだ。また手書きだとその日の自身の状態が筆跡からわかる。メモをとることで未知の自己と出会えるのは楽しいので是非やってみていただきたい。

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