
題名そのままがまさに結論である。私は48歳でタンクローリー 乗りになった。乗りになったと偉そうに言える資格はないのはわかっている。なぜならその道の先輩方、プロフェッショナル達が何年もかけて培ってきた技術や技などには到底及ぶわけもなく、ただひとりで仕事ができるようになっただけだからだ。ひとりで仕事ができるようになっただけで、荷積みや荷下ろしはできるもののギクシャクしているし時間もかかるしで1.5倍から2倍余計にかかっていた。これを先輩方と同じ時間内に収めようとするには、それなりの時間が必要だし経験を重ねることが求められる。その時間と経験を経て高レベルに達する頃には一体何歳になっているのだろうか?5年として53歳である。
53歳のおじさんが一人前になるということは一体どういうことなのだろう。若ければ一人前になって上り坂をまさに登坂中ピークはまだまだ見えない、でも成長する伸び代が十二分にある。それに比して53歳という年齢を考えると、53歳でよくやった、そこまで達することができたこと自体がすごい、とピークをそこで迎えてしまうのではないのだろうか。伸び代があるにはあるのだろうがそれは若い人に比べて僅かばかりでしかない。
私はこのブログの巻頭言で「48歳で異業種に転職しても独り立ちすることができるのです」と書いているが、独り立ちした後のことを見据えたり、残された時間について考えていなかったことに今更ながら気づいたのであった。時間が、ない、のだ。異業種へ転職するには48歳は完全に遅かった。そしてそんな私の転職に対して嫌がらずに受け入れてくださった職場の先輩方のことを思うと、私は彼等プロフェッショナル達の貴重な時間を奪ってしまったのではないかと慚愧の念にかられるのであった。
その道のプロフェッショナルになること。それは一足飛びに成せるものではなく、時間と経験の地道な積み重ねによるものなのだと改めて思うわけだ。全く考えもなく転職したわけではない。その後の人生についても考えたつもりだ。大きなミスは、人には寿命というのがあるということ。更に体力や知力も衰えていく老化ということ。その二つを直視しなかった。時間は有限である。そして間違いなく老いていくのだ。48歳は遅すぎた。