
「習慣」とは一体何であるか?毎日続けること。そう解釈してきた。毎日続けることは寝ることも起き出すこともご飯を食べることもそうだ。でもそれらを習慣とは呼ばないなあ。では習慣とはなんなのだろう。ググると「あることが繰り返し行われた結果、そのことがしきたりになること。しきたり。ならわし」とある。しきたり、ならわし、とはなにか?どんどん繋がっていく。おそらくこうだ。あることを意識的に続けてやることで体にそれらを覚え込ませたり馴染ませたりする。よしやってみようではなく、いつもの通りやってみよう的な感じ。いつも通りやっていたらそれなりに成果が出ていたりするものなのだろう。うまくなっていたり力がついていたり一朝一夕にはいかない何か違った能力や力が蓄積されている。
習慣化するには、えいっ!!というよりも、じゃあやりますか的なごく当たり前の様な感じでゆっくりと取り組むようなイメージがあるし実際そうだ。でないと毎回フルパワーでやっていたらエネルギーが枯渇してしまうし疲れて続かない原因にもなってしまう。習慣化するには持続可能なエネルギーと時間がセットで必要だ。それらがないとしきたりも、ならわしも積み重なっていかないし、そもそもしきたりにも習わしにもならない。ずーっと継続していくこと。後で振り返ってみたときにその成果が山登りをして登頂した時の様な爽快感とともに見渡せる。そんなイメージかな。あの時の最初の一歩があってこそ今こうして山の頂に登ることができたんだと。となると習慣化しているものをいくつか持っている人は毎回山登りを何本もしているということにならないか。山の頂ははるか雲の上で見ることはできない。でも目の前の一歩を踏み出すことで確実に頂上に近づいている。駆け足で一足飛びに頂上へ到達できるわけはない。これはいつの世も変わらない。
そうして習慣化されて積み重ねられたものは、それこそ自分と一体になりさらに心の面にも自信や勇気を与えてくれるものになるのだろう。習慣化するものをいくつか持っている人は五大陸最高峰を登頂した人の様にすごいのかもしれない。そんなことを思った。ちなみに私は習慣化しているものは、読書、筋トレ、ギター練習である。五大陸最高峰とまでは到底及ばないが日々山頂に向かって登っているのである。そして高いところに登ったらそこから見える景色は格別だ。何よりも登ってみないとみれない景色でもある。習慣化とは、もしかしたら普段見れないものを見えるようにしてくれるものかもしれない。
さて、このブログも今のところ毎日更新している。これも習慣化したいなあ。そして近い将来これまで見えなかったものを見えるようにしてくれるのだろう。ぼちぼちやっていきます。