アウトプットの大事さ。痛感。

私は今数々の習慣化したものを持っている。要はアウトプットするものを持っていると言い換えても過言ではない。何をアウトプットしているのか。それは自分が経験して学んだこと。仕事でもいいし読書でもあるし体を鍛えることであっても良い。自分が得たものを何らかの形にしてしまうというのがアウトプットである。

仕事の場合、どうやったらチームが機能して動くようになるか、その手法を頭の中で考えるのではなくて絵や図にして視覚化する。もちろん言葉による説明も加えるが、言葉と絵図をリンクさせてより相手に伝わるようにするし自分も理解できるようにする。読書の場合は、その本の何がポイントであったかをとにかく言葉にしてみる。本こそ漠然と読み終えることができるものだし、それでは知識は脳内に定着しない。なので何を感じて理解したかを言語化する。ブログなどの媒体を使って積極的に書いていく。体を鍛えるのは至極簡単で、要は筋トレをすれば日を追うごとに筋肉がついてきて見た目も変わってくる。この体の変化がいわゆるアウトプットになる。

もっと言うとアウトプットできないのであれば、イコール理解もできていないと言うことでもあり自分の中に定着しないと言うことになるのである。これでは何のための読書なのか何のための仕事なのか、になってしまう。頭の中にはもちろんそれらの痕跡は微かに残るだろうが、アウトプットしなければ単なる残像でしかない。残像だけが溢れてもそれらは繋がることもなく脳内を彷徨う。そう言うイメージになる。なので生み出すのは苦しいかもしれないが、インプットした後は必ず少しでも良いので言葉にしたり絵図にしたりしてアウトプットをすること。これが大事である。そしてこれもアウトプットである。

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