大型トレーラーに乗っていた日々

仕事へ行く途中にガソリンスタンドがある。交差点の角に位置する大きなスタンドなのでそこにタンクローリー が止まっているのをよく目にする。大型トレーラーを給油口のそばに横付けしてヘルメットと反射帯をつけた作業員が荷下ろしをしている。左折待ちをしている私はその光景にしばし見とれる。「ああ、昨年の今頃はこうやって荷下ろしをしていたな」と懐かしくなる。と同時に自分があの大型トレーラーを運転してこうやって荷下ろしをしていたことが嘘のように思えてくるのだ。あの時は確かにあったのに、だ。

なぜ現実味がなくなってしまったのだろうかと考える。あの当時、タンクローリー に乗ってガソリン等を配送していた時は確かにあったし記憶にも残っている。それなのに今は全く他人事のように思えてしまうのだ。おそらくこうだ。人は住むべき社会が違えば元いた社会は現実味を失い自分のもののようには感じられなくなる、ということだと思う。以前こういうブログを書いてアップした。「見える風景が違う。こっちの世界とあっちの世界」人が社会において所属する場所が違えば見える風景が違ってくるのをその経験から得た。だから今私は福祉の世界にいて、福祉の地平から社会を見ていることになる。なので大型トレーラーはいつもより大きく見えるし、運転できるようなものだとは思えないし、ホースをつないで荷下ろしなんてイメージもできないし、いろんなことがかけ離れたもののように感じられるのだ。

あれだけ大変な思いをして体得した技術だったりしたのに今では全くその実感がなくなっている。しょうがないのだろうけど、確かに私はあの時汗水流して訓練をしひとり立ちをし仕事を任されるようになっていたのだ。走りゆく大型トレーラーを見て、改めて私は違う地平に来てしまったことを痛感するのであった。重複するが、どんなにSNSが発展してもこの社会の層を貫く幻想は存在しないのだと思う。あったとしても非常に弱いもので実感がないものなのだろう。この経験もまた学びである。

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