病気と向き合ってこなかった結果としての今

転職はキャリア形成を考慮して行わないといけない。耳にタコができるぐらい聞いたフレーズ。そんな私はキャリアなんて考えないで逆にぶった切る感じで転職をした。全くの馬鹿である。もう過ぎたことだが、タンクローリー の会社に「よろしくお願いします」と電話連絡をした時のことは今でもよく覚えている。電話を持つてが震えていた。何十年も体験したことのない緊張感だった。それだけ緊張していた。それはそうだ。違う業種に48歳の男がチャレンジするわけだから。遊びではない、それも仕事で。結果は精神力、体力ともにやられて撃沈。半年で退職することになった。

何だったんだろうと思う。今となれば。なぜあんな無茶をしてしまったのか。前職でそのまま仕事をしていればそれなりにキャリアアップできていた。ある意味安泰だったはずだ。以前のブログでも書いたが私は10年来のうつ病者である。→を参照(長年苦しんできたこと。転職を繰り返したその本当の理由とは)。早いはなし、この病気を甘く見ていたのだ。薬も飲んでいるし様子も至って普通だし大丈夫だろうと。お酒も飲んでいたし普通に会社にも行けていた。でもうつ病が心の骨折であるという本当の状態に気づいていなかった。無自覚だったのだ。骨折したままだとどうなるか。いつまで経っても治りませんよね。それに痛いまま仕事をしているわけだからちょっとした刺激にも激痛が走るわけで。それを我慢して仕事をしていた。その結果どうなったか。仕事のストレスに耐えられなくなって心のブレーキが効かなくなった。そして転職し今日のブログの最初に戻るわけだ。

今は、これまでの中で長いキャリアだった福祉の業界に戻って仕事をしている。もちろんキャリア形成とか全くもう関係なくなったので、若い職員と同じスタートラインに立って仕事をしている。覚えも悪く要領も得ないおじさんであるが、長年培ったスキルをちょこちょこ小出しにして「やれるじゃないか」「うまくいった」「楽しいな」と思うことが少しではあるが、ある。子どもたちは最高の先生というか師匠で、手を抜いたらこれでもかとダメ出しをしてくる。逆に手を抜かないでしっかりやるとちゃんとご褒美をくれる。この仕事の醍醐味だ。

恥ずかしながらこの先どうしたいのか?などとは考えていない。どうなっていきたいのか?も正直ない。今あるのは、ようやく病気と向き合えるようになって来たし、今はじっくりこの病気を治していこう。治るまで付き合っていこう、そう思うことだけ。ようやくスタートラインに立った感じとでも言おうか。残された人生どうなるかはわからない。でも今から始められることもあるだろう。とりあえず今は、仕事に行って帰ってくる。帰って来たら温かいお風呂に入って好きな哲学の本を読む。次の日休みならコーヒーも飲みたいな。今は無理だけどコロナウィルスとの付き合い方に慣れてきたら旅行にも行きたい。そんな生活を大事にしたい。そんなところだ。

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