
新型コロナウィルスの件はさすがに他人事ではなくなって来ている。いつ自分が罹ってもおかしくない状況だ。こういう時は楽観するよりも若干悲観的に最悪の事態を想定した動きを考えておかないといけない。というわけで遺言書を書いておいた。詳しいことは知らないが、このウィルスに罹患すると場合によっては数時間で死に至るとも聞いた。定かではない。でもこれを最悪の事態と想定して、自分が死んだ場合に、当然自分は話して伝えることもできないのでお金のこと、後始末のことなどを書き残しておくことにした。父が死んだ時に遺言書がなかったために残された者としていろんな手続きに苦労した。それを経験しているので自分の時はそうならないようにと遺言書はしっかりと残しておくのだ。
離れて暮らす娘にも電話で遺言書の場所を伝え、また死んだ時にどこに連絡をすればいいか、遺産その他お金に関することも伝えておいた。娘は「まだ死んでもいないのに」と少し不思議がっていた。それもわかる。分かるが、死んだ後には話もできないから手続き的な話は生きているうちにちゃんとしておくことが肝心。感情的な問題ではないのだ。
こうしたことをちゃんとしておくと目の前の大変な事態にも冷静に向き合えるような気がする。ソクラテスに言わせると魂は不滅なわけで肉体は仮の住まいに過ぎない。そして最高善・実相(イデア)のあるところへ人は向かわなければならないのだ。そしてイデアの世界からまた現実界に戻ってくる。そうしなければならないのだ。でもイデアってなんだろう。それはまだまだこれから勉強して学んでいかないと。一つ言えるのは、ソクラテスにしてもプラトンにしても彼らの哲学は現代に至るまで幾多の災難を乗り越えて生きながらえて来たことだ。それは事実だ。そしてそれが人類なのかもしれない。