
アガトン「それでは私は主張する、すべての神は福(さいわい)であるが、エロスは、(もしこう語ることが許されることでありまた冒涜することにもならないならば、)すべてのうちでもっとも美しく、もっとも優れており、したがってまたもっとも福なる神である」
→ここでアガトンはエロスは美しいと言っている
それに対してソクラテスはアガトンの演説を賛美しつつも以下のように応じる
ソクラテス「人は何を賛美するにしても、これについての真実を語らなければいけない、そうしてそれが先要条件だ、それからその次にそれらの真実そのものの中からもっとも美しいものを選び出してできるだけ秩序よく按排しなければならぬのだ、と。」
→ソクラテスは表向きの賛美よりも真実を語ることが大事であるとここで述べている。
ソクラテス「エロス(愛)とは、まず第一に、何かに対して、次には現に欠乏を感じているものに対して、存在するものだ、ねえ、そうだろう?」
アガトン「そうです」
ソクラテス「エロスは美に対する愛で、醜に対するものではない訳だ、ねえ、そうだろう?」
→アガトンはこの問いに同意する。ここまでの解釈としては、アガトンは最初エロスは美の神であることを主張した。しかしソクラテスは、エロスは欠乏している存在であることを主張し、アガトンもそれに同意した。欠乏しているもの、それは美を欠いている。美を欠いているものがエロスであるのなら、それは美しいと言えるのか?という問いを次にソクラテスは発する。
ソクラテス「では、人は自ら欠いていて所有せぬものを愛求するものだということにわれわれは意見が一致した訳だね。」
アガトン同意する
ソクラテス「するとエロスは美を欠いていて、それを持っていないことになるねえ?」
アガトン「必然に」
ソクラテス「君は、美を欠いていて、まるでそれを持たぬものを美しいと呼ぶわけか?」
アガトン「いいえ決して」
ソクラテス「こういう次第でも、君はやっぱりエロスは美しいという意見なのかい。」
アガトン「ソクラテス、僕は先ほどいったことは、どうしても自分でも分からなかったのかもしれませんね。」
→ここでアガトンはソクラテスの話に完全に同意する。
じゃあエロスとは一体何であるのか?それをソクラテスはディオティマを登場させて説明して行くのだ。このディオティマを間接的に登場させることによって、アガトンを論破したことに対して、自分(ソクラテス)も過去にアガトンと同じような主張をして論破されたことを示し、バランスをとっているのだ。
ディオティマとソクラテスの話
ソクラテスもティオティマに対してアガトンと同じ問いをしている。
「すなわちエロスは偉大な神でかつ美しき者に対する愛である、と、すると彼女(ディオティマ)は、僕が今この人(アガトン)を反駁したのと全く同じ理由をもって、すなわちエロスは、僕自身の言葉によると、美しくもなければ善くもないことになるといって、僕を反駁したのだった」
→ソクラテスの優しさである。アガトンを論破しながらもアガトンの問いは自然な者でこの自分も同じような解釈をしていたことを正直に述べ、アガトンをたてている。
ではディオティマが述べたことをまとめていこうと思う。
- 智慧と無知の間には一種の中間物がある
- エロスは美しきものと醜きものの中間にある
- 正しき意見でも根拠を示すことが出来ない。根拠を示すことが出来ないのは知識ではない、じゃあ無知かというと、真実に一致するのだから無知ともいえない。なので正しき意見とは知見と無知との中間にある。
- 美しくないものを善悪で捉えてはならない。エロスを美しいとも醜いとも考えないで、その中間にある存在と考えるべし。それは上段の説明に依る。
- 神は幸福で美しいもの
- エロスは善いものや美しいものを欠いている存在
- 美しいものや美を欠いている存在を神とは呼べない
- 滅ぶべき者と滅びざる者との中間にある存在
- エロスはダイモーン(神霊)である。
- ダイモーンとは、人間から出たことを神々へ、また神々から来ことを人間へ通訳しかつ伝達する。すなわち一方からは祈願と犠牲をとを、他方からは命令と報償とを、それはまた両者の中間に介在してその間隙を充す。
- 人間と神との交通を行う存在の一つがエロスなのである。
- 父ポロス(術策の神)と母ペニヤ(窮乏)が出会う。ペニヤはポロスの子エロスを孕む。
- エロスは母譲りの貧乏性でありつつも父譲りの術策家であり勇敢さも兼ね備えている。
- エロスは愛智者である。
- 賢明で多策(富裕)な父(ポロス)と無知で無策(貧乏)な母(ペニヤ)との間の子である。
- 愛智者として智者と無智者の間にいる。
- 幸福な者が幸福なのは、善きものの所有に因る
- 善きものを求める。それは自己に固有のものではない。
- 善きものを永久に所有する。
- 愛とは善きものの永久に所有することに向けられたものである
- 愛を追求する人たちは、では、どういう行動をとるのか?
- それは、肉体の上でも心霊の上でも美しいものの中に生産することである。
- あらゆる人間は、肉体にも心霊にも胚種を持っている。
- その胚種が一定の年頃になると生産することを欲求しだす。
- それは美しいものの中だけで生産することができる。
- 男女の結合も然り。
- 滅ぶべき者のうちにある滅びざるものなのである。
- 美しい者は、神的なものと調和する。
- 生産衝動の漲るものが美しいものに近づき行く時、生産欲と胚種に充ち溢れている者は美しい者に対して強烈な昂奮を感ずる。
- そうして美しい者の中に生殖し生産する
- 生殖する理由は、滅ぶべき者が未来永劫なるもの、不滅なるものを求めるから。
- 愛の目指すところが善きものの永久の所有である=愛の目的は不死である
- 滅ぶべき者の本性は、可能な限り、無窮であり不死であることを願うものである。それは生殖によってのみできる。生殖とは古い者の代わりに常に他の新しいものを残していくことだからである。
- 人の身体も知識も常に同一不変ではない。消滅と再現を繰り返し新しいものを生み出している。
- 消え去る者も老い行くものも自分と同種の他の若者を後に残していくことを意味する。こうして滅ぶべき者は不死に与る。
- 不死のためにこそ、どんな者にもこの熱心と愛が賦与されている。
- 不朽の名声を永遠にわたって博したい、などがそう。
- 不死を愛求するがゆえに。
- すなわち人は子を拵えることによって、不死や思い出や幸福やを、その信ずるところでは、「未来永劫に自分に確保しようとする」
- 智見のうちではるかに他に超えて最高で最美なのは国と家との統制に関する者である。
- ついに美のイデアが説明される
- 生物の内にも、または地上や天上に、またはその他の物のー内に在るものとしてでもなく(影絵ではなく)、むしろ全然独立自存しつつ(洞窟から外に出て存在する真実在)永久に独特無二の姿を保てる美(太陽に照らされた現実、実在=イデア)そのものとして彼の前に現れる。
- 梯子の比喩
- 1段目、美しき肉体。2段目、あらゆる美しき肉体。3段目、美しき職業。4段目、美しき学問。最終段階で美のイデア。
- 美そのもの(イデア)を見ることによって人は生き甲斐をうる。