シリーズ・哲学のエッセンス『プラトン 哲学者とは何か』納富信留著(NHK出版)を途中までだけどアウトプットしてみる

納富先生がイデアについてわかりやすく解説してくださっているので、そこを記憶に残すためにもアウトプットしておく

「正しい」「正しくない」と言う言葉があるかぎり、どこかに絶対的な「正しい」ことや「正しくない」ことがあるはずだ。それは現実の世界においては個々人の恣意性によってその都度「正しかったり」「正しくなかったり」する。でも「正しい」「正しくない」と言う言葉があるかぎりどこかにそれらはあるはずだ。と訴えたのがプラトンである。なのでプラトンは現実世界には混沌として存在するそれら「正しい」「正しくない」から距離を取ることにした。要は洞窟の比喩で言うところの洞窟から出てみようと思って動いたのだった。外に出てみるとそこには現実とは違う地平に燦々と輝くイデアがあったのだ。そこには真の現実が光とともに輝きを放っており感覚ではない思推によって「正しさ、美しさ、善さ」のあり方を認める。

イデアという遠みから物事を眺める時、一つ一つの影が何に由来するかを明晰に見分けることができる。言葉においてイデアを認め、その知を求めることによって、はじめて、この世界のあり様が正しく文節化して現れてくるのである。(70)

シリーズ・哲学のエッセンス『プラトン 哲学者とは何か』納富信留著(NHK出版)

この世界の生きとし生けるものを育む「太陽」に喩えられる「善のイデア」は、私たちの魂が「見る」ことそのものを可能にする光源とされる。それは「視点」そのものの成立の根源をも意味する。現実の根拠は、実は特定の視点ですらない、視点を超えた絶対の視点、見ることを超えた見ることであり、それこそがプラトンの現実把握であった。(70)

シリーズ・哲学のエッセンス『プラトン 哲学者とは何か』納富信留著(NHK出版)

イデアの存在が全ての判断軸の中心となる。そこから照射された「正しさ、美しさ、善さ」の光たちは現実世界の「正しきこと、美しきこと、善きこと」と言われるものを照らしつつイデアの言うところのそれらに導かれる。真実の基準に引き上げられたり引き下げられたりするのだ。このイデアに近づくためには「哲学すること」が求められる。当たり前のように自覚していることが本当にそうなのか「不知の自覚」がなされるためにも真実在、イデアを思い思考することが大事になる。そして手法としては「ディアレクティケー(対話の術)」がそれに接近する最善の法になる。

自分なりに文章にしてアウトプットしてみた。まだ全然理解できていないが、理解できるようどんどんアウトプットしていこうと思う。

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