続き)シリーズ・哲学のエッセンス『プラトン 哲学者とは何か』納富信留著(NHK出版)をアウトプットしてみる

いつものようにマーカーで線を引いたところをアウトプットしてみる。

誰でもプラトンの本を手にして大きな感銘をうけ、何かが分かった気がする。(8)

プラトンと私たちのあいだには、幾重ものギャップが横たわっている。(8)

これから私が『プラトン』という標題で本を書くのは、そのようなプラトンとのギャップをギャップとして見据え、それを哲学へと変えるこころみである。(8)

十代後半に経験したソクラテスとの衝撃的な出会い、二十三歳のプラトンを巻き込んだアテナイの政変、そして二十八歳の時に直面した師ソクラテスの裁判と刑死である。(10)

「哲学者の生を生きるとは、どういうことか?」の問いであった。(13)

これに対して、プラトン対話篇は、ソクラテスをいわば「謎」のままあらわす。(21)

哲学者、それは、けっして知をもちはしないが、知をもたないということを自ら証しつつ、ひたすらに知を愛し求める者の意である。(21)

むしろ、さまざまな人物を配して彼らと対話するソクラテスを描く劇仕立ては、自らがかわたした対話そのものの意味と可能性を、距離をおいて明らかにする方途であったに違いない。(22)

前四世紀に生きるプラトンがもとめたのは、哲学者ソクラテスの生を現在させることであり、ソクラテスを書くことによって、プラトンは哲学者が「ある」ことを定めようとした。(23)

自らの時代を徹底して生きるなかで、ソクラテスが生きた前五世紀は「現在」を見据える鏡の役割をはたしたにちがいない。(24)

現在の真理は、まさにその時を生きる者には隠されている。距離をとって透徹した眼差しのもとにその謎にせまること、これこそがプラトンによる「対話篇」という挑戦なのであった。(26)

ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。(28)

一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、それを再び時間において繰り返す読者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。(29)

ここで重視される、心と心のあいだでかわされる生きた言葉とはソクラテスの対話を指し、批判される「書かれた言葉」とは、直接には、他人のために法廷弁論を代筆するリュシアスらの言葉を意味する。(30)

プラトンが目指す知は、共に生をおくりその問題について対話していくなかで、飛び火によって炎が点ぜられるように、突如、心に生ずるものと考えられている。(31)

むしろ私たち一人ひとりがになう知の可能性を対話によって導き出しながら、自らの内から実現させる企てなのである。(31)

対話の言葉に自らをさらす真摯な態度こそが哲学を可能にするのであり、たとえ「ソクラテスの対話」や「プラトンの書物」であろうと、読み手や聴き手が自らその対話に参画することなくそれらを鵜呑みにしてしまうとすれば、哲学とはおよそ対極にある、死んだ言葉、自らを見失わせる欺きの言葉にしかならない。(31)

ソクラテスが実践した生きた「対話」は、プラトンによって書かれた「対話篇」となることで、反復と反省を可能にする普遍的生命をもつにいたったのである。(33)

プラトンが書きつづる言葉が明るみに出すのは、そのように言葉が言葉と対決し生をえぐり出す、ソクラテスによる吟味なのである。(34)

つまり、対話者の生を成り立たせる基盤としての言葉をあらわにすることである。(34)

ディアレクティケー(対話の術)(34)

こうして、「何か」という問いは、それまで自らの生き方の拠り所となってきた「勇気」についての信念を突きくずし、実は、私は「勇気とは、何か」を知ってはいなかったという事実を突きつける。(36)

対話によって突きおとされるこの困惑の状態は、「アポリア」と呼ばれる。(36)

ソクラテスは、対話をかわしながら、自らはその事柄について「知らない」、つまり、自らもアポリアにあると主張する。(37)

ソクラテスは自らの不知を証すために、そして、人々の過った「思いこみ」をとり除くために、神から与えられた使命として対話と吟味の生をおくったのである。彼はその生を、「哲学すること(フィロソフエイン)」と呼ぶ。(39)

彼がほんのすこし人々より優っているかもしれないのは、これまで自らの考えをつねに吟味し、「知らない」ということを自覚しつづけた点である。(39-40)

ソクラテスの対話が目指すのは、他人を論駁しやりこめることではなく、言葉によって真理を追求するなかで、あくまで自らの不知に真摯に向きあうことであった。(40)

異質な他人と出会い、外からの問いかけによりこの思いこみを打破する「対話」こそが、哲学者の生を成立させる。(40)

ソクラテスは、自分は他人を論駁するよりもむしろ論駁されることを好んんでおり、対話は相手の生だけではなくむしろ自らの生を吟味する、と語る。(40)

「現実」と思われていることの世界が、実は「現実」の影にすぎないと考えていく。(44)

プラトンが『カルミデス』で対決したのは、むしろ、真剣に「正義」を実現しようとしながらも、その「正義」の理解そのものが何らかの問題をはらみ、それゆえに失敗したクリティアスのあり方であったにちがいない。(59)

プラトンは、クリティアスが掲げた「思慮深さ」という徳について、彼の理解そのものが問題の源であったことを明らかにしたのである。(60)

人々は、「より善く生きる」ことの模索を放棄し、現実をそのまま受けいれ、流動に身をまかせてしまっている。プラトンが生涯をかけて対決したのは、「現実」におもねるそのような生き方であった。それは、師ソクラテスが生をかけた知を愛する営み、つまり、より善く生きようとする哲学者の生と、真っ向から対立するものであったからである。(66)

現実からあえて距離をおくことで、私たちに、はじめて現実を見る視野がひらけてくる。(68)

そこに真の現実が光を放つ様が見てとられる。その光のもとで、逆に、私たちが生きているこの世界における「正しい、美しい、善い」というあり方が輝きでるのである。イデアは、感覚世界を超えてあり、言葉において、思推によってのみ捉えることができる。今まで「現実」と思っていたのは、実は、本当の「現実」影にすぎない。(69)

私たち一人一人の思いを超越した絶対性を、プラトンは、「イデアは、離れて存在する」と呼んだ。(69)

イデアという遠みから物事を眺める時、一つ一つの影が何に由来するかを明晰に見分けることができる。言葉においてイデアを認め、その知を求めることによって、はじめて、この世界のあり様が正しく文節化して現れてくるのである。(70)

この世界の生きとし生けるものを育む「太陽」に喩えられる「善のイデア」は、私たちの魂が「見る」ことそのものを可能にする光源とされる。それは「視点」そのものの成立の根源をも意味する。現実の根拠は、実は特定の視点ですらない、視点を超えた絶対の視点、見ることを超えた見ることであり、それこそがプラトンの現実把握であった。(70)

プラトンの哲学の真の恐ろしさは、「現実」から目を逸らす理想主義や彼岸主義などではなく、現実そのものを見据える破壊力にある。(71)

しかし、それを真の現実と信じきって、そこでのほんの些細なあり方の違いに右往左往する人々の生き方こそは、ソクラテスが批判してやまなかった「思いこみ」の生に他ならない。(72)

「洞窟の比喩」(72)

こうしてソクラテスがかわす対話は、洞窟の外へと魂の目を向けかえさせ、そこでイデアのあり方を適性に吟味する「ディアレクティケー(対話の術)」として、哲学の方法に位置づけられた。(76)

哲学の役割は、対話による探究をつうじて、私たちの魂を混沌からイデアへ向けかえることであった。(76)

しかし、そこで失敗を失敗としてその原因を見きわめる絶対的な視点を確保し、政治を哲学に結晶させたのは、プラトンがはじめてであった。プラトンは自ら現実にぶつかり挫折することで、逆に永遠の成功を勝ちえたのかもしれない。(79)

「哲学とは死の訓練である。」(85)

彼らの政治は、そもそも、「善く生きるとは、何か」といった問いを問うこともなく、自らのあり方に目を向けてそれを吟味にさらすこともせずに、「立派な政治」という見かけと思いこみによって、その問いを封印していたのである。(91)

それとはまったく逆に、「善き生」をめぐって人々と対話をかわし、吟味によって不知を明らかにするソクラテスの営みこそが、ポリス・アテナイに対する真に公的な、政治の活動である。彼は、アテナイ市民の一人一人に魂を気づかうように配慮をうながすことで、人々を真に善き生へと向けかえようとした。(92)

彼らとは逆に、ソクラテスは自らが「知らない」ことを表明しながら対話をかわし、けっして「知識」を他人に与えるとは約束はしなかった。ソクラテスが一人一人と向きあって加える吟味は、むしろ、相手の考えをつぎつぎに論駁して、思いこみを取り除いていく。ソクラテスは、対話する各人を自らの不知という限界において探求へと向かわせる。それは、内なる知の可能性そのものを触発することで、「学び」を根源的に可能にする。ソクラテスと対話相手は、まさにアポリアに直面することによって、共により善き生への探求を始めるのである。(96)

プラトンの「洞窟の比喩」によれば、教えるとは魂を向けかえることであり、人々を囚われから解放し、上方へと導くこころみなのであった。(97)

ソクラテスの「教育」とは、知る者から知らない者への一方的な働きかけではなく、対話という相互のやりとりのなかで、共に知を愛し求めていく営みであった。ソクラテスは、自らが対話相手と一緒により善き生を構築するために、対話を実践する。(97)

教育は、魂と魂のぶつかり合いであり、対話は生死を賭けてかわされる。(98)

神の言葉すらも俎上にのせる徹底した哲学的吟味が、ソクラテスの「敬神」であった。(102)

ソクラテスが対話をつうじて示したのは、人間を超える、ある絶対的な地平を志向しながら、人間存在の限界においてできるかぎり善く生きようとする生であった。(102)

知らないことをそのとおり知らないと認める「不知」の自覚に徹し、そのなかで、どこまでも絶対的な何かの存在を信じて、それを探求しつづける。(103)

「私は、アテナイ人諸君、君たちに親愛の情をいだいている。しかし、私は、君たちにではなく、むしろ神に従う。そして、私が息するかぎり、可能なかぎり、知を愛し求めることをけっして止めはしない。」(『ソクラテスの弁明』29D)(105)

そして、この裁判で真に問われていたのは、ソクラテスを死に追いやる裁判に臨んだ、アテナイの人々の「生」であったはずである。そのなかに、若きプラトンもいた。(105)

それに対してソクラテスは、「言葉」そのものが「生」を形作ることを、自らの言葉と生をもって示した。それが、哲学者が訓練しつづけた「死」という極点であった。(107)

「生」とは、もはや、この世界で欲望や自負や思惑にまみれて生命活動することではなく、魂、すなわち、私自身が、まさにそのものとしてあることを意味する。(107)

ソクラテスが生涯「言葉(ロゴス)」を語りつづけ、自らと他人との生を吟味しつつづけたのは、そこにおいてしか「善く生きる」ことがあり得なかったからであろう。(107)

ソクラテスという基軸ですべてが逆転した時、何かを語ること、つまり、「言葉」そのものが変容する。言葉は、まさに「ある」という地平をなす。そこでは対話が「生」として輝き出すのであった。(108)

プラトンの生を動かすことで、ソクラテスの生は「哲学者」として形を結ぶ。(109)

プラトンが出会ったのは、生きた言葉、いや、生の言葉であった。それを自身がひきうけ、容赦なく吟味にかけることが、プラトン「対話篇」の作業であった。(109)

言葉をあれこれならべて、「ある」の「ない」のと言いながらまどろんで過ごす世界は、私たちの生きるべき現実ではない。それをきっぱりと拒否して、ソクラテスのように言葉において実際に「死ぬ」こと、そこではじめて「言葉」が絶対的な形をもった生となる。(109-110)

シリーズ・哲学のエッセンス『プラトン 哲学者とは何か』納富信留著(NHK出版)より

ということでこれから『ゴルギアス』プラトン著 加来彰俊訳(岩波文庫)を読み始めます。

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