うつ病とともに過ごした8年間、それは無為な日々だったのか?

今日会社で仕事をしながらちょっと外を眺めるだけの余裕があったので、窓外に見えるのどかな田園風景にしばし見とれていた。その田園のそばを河が流れていてその土手には自転車道が走っていて遠く海まで続いているのだった。

その昔、そう、まだうつ病になる直前の頃、約8年前だが私は職場と家とをランニングで行き来していた。片道13kmぐらいだろうか夜勤前に走って会社へ行き、夜勤明けまた同じ道を走って家に帰っていた。そう、その道路が目の前に見えるのだった。その道路には、元気であった、うつ病になる前の時間がそこにはあったのだ。今はというと、そんなランニングなんてできる体力もなく脚力もない。ランニングから遠ざかって久しい。そんな土手の自転車道を行き交う人々をみていると

「ぼくのうつ病だった8年間は無駄だったのだろうか?」

とふと思ってしまった。一度そう思うとやるせない気持ちになって心がずしりと鉛を飲んだように重たくなった。取り戻せない8年間。でも確実に生きてきた8年間。その8年間は、いろんなことがあったが死なずに生き延びてきた日々でもあった。うつ病という病気を軽く見てたわけではないが、どこかで気持ちの問題だと捉えて自分でなんとかしようとあがいていたのは事実だ。

人に助けてと言えない自分。自分でなんとかしないといけないと思ってしまって、仕事だけは休んではならない、お金を稼ぎ続けないと養育費が払えなくなる、その一心だった。自分の病気よりも、娘への養育費が払えなくなると娘の生活が逼迫してしまうという思いのほうが強かった。愛なのか義務なのか。表裏一体。

結局それはどうなったかというと、自分を、自分の体をおろそかにしてしまっていたのだ。本当は、うつ病になった時点で、自分の病気が重症であることを自覚しないといけなかった。僕のうつ病が長期化し重篤になったのは初動がまずかったのだ。全てはそこにある。

そんな中、むちゃな転職をし、住む場所も変えたりと自分の体を酷使し続けた。結局何がしたかったのだろう?めぐりめぐってもと住んでいた場所へと戻ってきて、仕事も自分がずっとやってきた福祉の世界にまた戻ってきた。すべてがふりだしに戻ったのだ。河岸にそって走る自転車道にはあのころの僕はいないが、今自転車道を見ている僕がいる。あそこをまた走る自分は想像できないが、もしかしたらゆっくり歩いている自分はいるのかもしれないと思えてくる。そう、もう自分を捨て置いて走り去るようなことはすまい。ちゃんと自分を捕まえて「それぐらいでいいだろうよ」とやさしく問いかけたりできるような気がする。

「ふりだしに戻った。ここからが再スタートだ」

そう思うことにした。きっとこの8年間には意味があるはずだ。今をつくっているのはあの過去の日々なのだから。

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