なぜ読書をするのか?本はできれば読んだほうが良い理由。

読書が生活の一部になって久しい。でも、どうして読書をするのか?ということを真剣に考えたことはなかったなあ、と思う。正直なところ、本は別に読まなくても生活で困ることはない。特に私の場合は難解な本を好んで読む傾向があるので、なぜ好んで頭をひねっては難しい文章を読まないといけないのかとも思ったりもする。でも読むのだ。本を手にしてしまうのだ。

本を読む理由の一つには、知への好奇心があるのだと思う。あとは知を得ることによる何か利益がしっかりとあるからだと思う。知への好奇心というのは、単に知らないということを知りたい、ということでもある。それは私が人生において知る機会のなかったことが他者によって獲得されそれが知識として本に集約され流通している。そんな簡単には捕まえることのできない他者の人生的活動(研究とか哲学とかいろいろ)を本という形で知ることができる。すごいことではないか。

なぜその人はその視点を得て知を求めたのか?そこには人々の無限の興味関心があり、生きる躍動というものがあるからこそ知的生産活動につながるのだと思う。その知的生産活動、躍動というものが、読む人にとって新しい気付きをあたえてくれ生活に活力を与えてくれるのだ。知らなかっことが知ることになり、それは知らなかったというピースを埋めてくれるというそんなものではなく、自分の知的ピースと獲得した知のピースによる自分内化学変化とでもいうか、そんな超サイヤ人になるようなことが読書によっておこるのだ。他者の思想と自分の思想がぶつかりあっているのだ。だから成長することは必然なのだ。本を読む利益という点から言えば、この成長、ということがあると思う。本を読まないと変化が起こらないのだ。自分のなかのいつもあるピースは変化する分子を得ないと何も化学変化を起こさない。だから無理に本でも読んで分子を獲得するしかないのだ。そうして新しい分子とぶつかって変化が生じる。あたらしい自己の誕生である。

べつに本は読まなくてもいい。積ん読だけでもいい。本のある日常というのを非常事態宣言が延長されたこの機会に作ると良いと思う。私もそんなにたくさんの本を読むわけではない。ほとんどが積ん読かもしれない。一つ言えるのは、いつでも本を手にする機会をつくっておくことが大事なのだ。本の背表紙をみて「あ、読んでみようかな」と思えるともうそれで読書は8割方終わっているものだ。きっかけをいつでも得られる環境にしておくのも読書をする上ではとても大事だと思う。

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