
古来文学作品としても定評のあるプラトン対話篇のなかでも、『プロタゴラス』はとくに、そのすぐれた劇的描写力ともいうべきものが、充分に、のびのびと発揮されている作品である。
『プロタゴラス』プラトン著藤沢令夫訳(岩波文庫)より
うむ、これは読むのが実に楽しみだ。
紀元前5世紀の後半ー前433/2年ころーのアテナイにおける、ソフィストたちをめぐる時代の一般的な空気であり、そしてそこにソクラテスが関わり合うことによってつくり出される、ある意味ぶかい状況である。
『プロタゴラス』プラトン著藤沢令夫訳(岩波文庫)より
われらがソクラテスの登場である。おそらく現代的に言うとディベートでで名声を博した人たちに「知とはなんぞや!!」と喧嘩をふっかけるようなものと推測される。
人間として国家社会の一員としてもつべき徳が、はたして人に教え授けることができるものであるかどうか、ということであり、この点についてソクラテスが、徳の教師を公然と名乗るソフィストの代表格プロタゴラスに直接相対して、素朴な疑問をぶつけるところから、カリアス家における共同討論がはじまるのである。『プロタゴラス』はこのような意味での、青年(*ソクラテス)の「教育者」ソフィストに対する批判の書である。
『プロタゴラス』プラトン著藤沢令夫訳(岩波文庫)より
ギリシャ時代版の朝生(朝まで生テレビ)である。『ゴルギアス』でソクラテスが弁論術の大家であるゴルギアスに挑んだあの光景がここでも展開されるのか?この時齢36歳の若きソクラテスが、ソフィア(知恵)を求めてソフィストたちに何をどう語りかけていくのか。それこそプラトンの真骨頂である対話篇のすごさがここにあるのだろう。
ソクラテスは、真実の徳はけっしてソフィストのようなやり方では教えられないこと、そしてそれはさらに彼らの<知>の把握が不充分であることから由来していることを、本能的に鋭く感知する。そしてまさにこの感知がゆえに、彼は同じ「徳は知である」という主張をまったく違った方向から、パラドクシカルな仕方で提出するのである
『プロタゴラス』プラトン著藤沢令夫訳(岩波文庫)より
ソクラテスによってとどめの矢が放たれる。それは、一体どういうやり方で?は本編を読んでみてから。でも実際のところプラトンが36歳のときにはまだプラトンは生まれてもいない。なので、この『プロタゴラス』の設定自体、もうプラトンの創作ではあるが、対話篇によって師であるソクラテスを「ソフィア(知恵)」の名のもとにプロタゴラスと対峙させることによって蘇らせているのである。