昨年の今日、私は何を思い何をしていたか。手帳から振り返ってみる。20190513

夢の中でくすぐったくて、笑ってしまいそのせいで起きてしまった。

「言語は(中略)たえざる活動性ー《エネルゲイア》ーだからである。言語の中で、話すもの、聞こえないといはいえ、ともかくそこからあらゆる輝きのやってくるつぶやきとして話すことをやめぬもの、それこそ民衆なのだ」ミッシェル・フーコー『言葉と物』より」

2019年5月13日の手帳のメモより

時々夢の中で心底笑ってしまいひとり幸せになるときがある。それが2019年の5月13日の夢で実際にあったのだろう。そういうメモがある。

「言語は・・・」のフーコーのこの行(くだり)は、この本の中でも大好きなもので、忘れないようにメモに書き留めたのだろう。言語がたえざる活動性《エネルゲイア》であり、言語に意思をたくし、そこに関係性をもとめ、なによりも生きることの本源を言語に求めて生きるわれわれ民衆がいる、というものすごくダイナミックな表現がなされている。またフーコーの民衆への愛着が感じられる文章だ。言葉があるから我々は生きるし、また我々が生きるからこそ言葉が生まれるのだ、と僕は解釈している。それにしてもこれは名文だと思う。

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