
外出自粛期間中の家での私の最大のタスクはプラトンの著作を全部読む!!ということである。そうギリシャ哲学の、あのプラトンである。そもそもどうしてプラトンの本を全部読もうかと思ったかと言うと、いきつけの古書店にふらっと入ってふらっと棚に『ソクラテスの弁明 クリトン』を見つけて手にしたことから始まる。薄い冊子のその本はとにかく古典であれば何でもいいという思いつきだけで私の手に落ちた。そんな出会いだった。古典であれば、何でもいい、ああソクラテス、名前だけは聞いたことある的な程度であるが、されど出会い、これが後にすごい出会いになるとは思っても見なかった。
『ソクラテスの弁明 クリトン』はYou Tubeやネットでも書評している人がたくさんいる。私の場合そんな情報を得ず偶然に古書店で手にしただけだったので、内容とかはまったく知らないまま読んだわけである(『ソクラテスの弁明 クリトン』プラトン著 久保勉訳 岩波文庫を読んで⇠をクリックすると簡単な書評が表示されます)。僕はソクラテスという単語は知っていたしプラトンという単語も知っていた。でも何をした人でどういう影響を与えたのかは全く知らなかった。でも「ソクラテス+プラトン+古典=興味関心」という公式が古書店の本棚を見たときに成立し、眼前にある『ソクラテスの弁明 クリトン』を手にしたのだった。そしてその本を読みすすめていく。プラトンによって描かれるソクラテス。彼が対話によって知恵の追求をしていく姿に度肝を抜かれた。49歳になるおじさんが「うー、すごい」と唸ってしまうほどだった。これがプラトンの著作を全部読もうと思ったきっかけである。
そもそもな話、まずは古書店に行かなければプラトンの本と出会うこともなかっただろうし、『ソクラテスの弁明 クリトン』がすごく薄いとう物理的なこともリアルに知れて即選択対象になったし、それだから「僕にでも読めるかも」と思えたわけだ。これがAmazonで検索をかけていたらどうだろう。古書店のようにぶらぶらと書棚をながめ、おっ!!、薄い!、これなら読めそうとかいう劇的瞬間な出会いのシチュエーションは生じないのではないだろうか。Amazonだと「古典」「ギリシャ」などと検索をかけてそれにヒットしたものから探すだろう。書棚に並ぶ本のタイトルを眺めつつ「お!!気になるなあ」的なゆるい感じはまだAmazonには無理なような気がする。いろいろと勧めてくれはするが、まあそれはまた別物であって。
本は出会いだ。常々そう思う。それも超偶然的な。夜勤明けで眠い目をこすりながらあの時古書店に入ったこと。「眠いし帰ろ」となっていたら今僕はプラトンは読んでいない。会いたい人には自分から会いに行く。出会いの場は彼ら(プラトンとかね)偉人が好んで集まる古書店なのだ。みなさんもぜひ古書店へ。素敵な出会いがそこにはあります。