
題名にもある『パイドン』は人物名である。プラトンの著作の大半が人物名になっているが、この『パイドン』もそうである。パイドンは男性で、アテナイの奴隷市場で男娼として売り出されていたのをソクラテスが助け出したことによりその後ソクラテスを師事し生きてきた。この『パイドン』という作品は、ソクラテスが死刑を宣告されてから死ぬまでの間の獄中でのやりとりを描いたものである。プラトンは病気でこの場に居合わせなかったが、このパイドンという人がソクラテスのそばにいてそのやり取りをエケクラテスという友人に一部始終話す、というスタイルで進行していく。死をおそれることなく粛々と受け入れていくソクラテスと、死にゆくものを見送らざるを得ない弟子や友人たち。その微妙な空気の中ソクラテスは
哲学者は死を恐れない。死とは魂と肉体の分離であり、哲学者は魂そのものになること、すなわち、死ぬことの練習をしている者であるのだから。(29)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
と述べていく。生きている限り人は肉体に魂を同期され、肉体の欲するものに影響を受けざるを得ない。それでは真実在は見えない。肉体によって影響を受けるものとしては、飢えだったり乾きだったり美しいだったり醜いだったり、時々によって変わる価値観というか欲求と言うか、そういう現世的なもの。『国家』プラトン著で出てきたイデア論の前段階で出された「洞窟の比喩」でいうところの洞窟の壁に映し出された幻影のようなもの。それに一喜一憂するのが肉体であり肉体とともにある魂なのである。
では、魂はいつ真理に触れるのか。なぜなら、肉体と協同してなにかを考察しようと試みれば、そのときには、魂は肉体によってすっかり欺かれてしまうのは、明らかだからだ。(32)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)
こうソクラテスは提起するのだった。そしてこの先に出てくるのが、イデア論を彷彿とさせる文言が以下の通り
ところで、おそらく、思考がもっとも見事に働くときは、これらの諸感覚のどんなものも、聴覚も、視覚も、苦痛も、なんらかの快楽も魂を悩ますことがなく、魂が、肉体に別れを告げてできるだけ自分自身になり、可能な限り肉体と交わらず接触もせずに、真実在を希求するときである(32)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
この上の行では、洞窟の比喩で言われているところの、軛をほどかれ1人洞窟の外へむかって歩いていく1人の人間のことを言っているように思える。洞窟の外にでて本当の太陽(イデア)を目の当たりにし、真実がそこにあることを知る、というあの行である。人の目、耳などで知覚するものは幻想でしか無い。それらの真実在を知りうるものは、現世の肉体に縛られた魂ではなく、肉体の知覚から解放された人でありイデアを希求し思考する人のみである、と。またソクラテスはこうも語っている
いや、本当にわれわれに明確に示されているところでは、もしもわれわれがそもそも何かを純粋に知ろうとするならば、肉体から離れて、魂そのものによって事柄そのものを見なければならなない、ということである。(36)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
これはもうイデア論の萌芽としか言えない。この『パイドン』は『国家』以前に書かれたものであり、『国家』で提出されたイデア論の前哨戦に該当する書物である。なのでこうしてところどころにイデア論的な要素が散りばめられている。そして続いて想起説の提起になるのである
われわれが『学ぶこと』と呼んでいる事柄は、もともと自分のものであった知識を再把握することではなかろうか。これが想起することである、と言えば、われわれの言い方は正しいだろうね
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
さらに
それなら、シミアス、魂は人間の形の中に入る前にも、肉体から離れて存在していたのであり、知力を持っていたのだ。
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
「善い」とか「美しい」などの実在に関して、なぜそれが「善い」とか「美しい」と感じられるのか?それに対応できるような知識なり経験なりがないとそれを実感することができない。とするとそれは生まれる前、魂というものが実在し、かつて「善い」「美しい」ことを知っていたということを語っている。この魂が実在して「善い」「美しい」などを知っているということがイデア論と関連するところだと思われる。
最後に、この本を読むにあたっては最初解説から入ったほうが良い。なぜならこの本が後の『国家』で展開されるイデア論の前哨戦に値するものだからである。その説明が解説で丁寧になされている。イデア論とはわかるようでわかりにくい難しい概念である。だが、この『パイドン』を読み進めていくと、その概念の形成過程が少しずつ分かってきてよろしい。死期を目前に控えながらも肉体と魂について語り始めるソクラテス。そしてそういう状況にある師匠に対して遠慮なく疑問をぶつけていく弟子たち。そのやりとりが緊張感があってよいのだ。そしてそれを間接話法的に語るパイドン。師匠への愛が感じられる。まだ読み途中だがすごく良書である。