
もう本当に難解なので少しでも理解できたところだけでもアウトプットしておく(でないとどんどん忘れてしまうので)。ソクラテスの言っていることはすごいのだろうけど、理解するのがとても難しい。お弟子さんたちも「たしかに。そうです」とか簡単に受け答えしているし、ギリシャ時代の人たちはどんだけ頭が良かったのか。では、少しだけだがアウトプットしてみる。
ただ単に、先に論じたかの反対そのものだけが明らかに相互に他を受け入れないだけではなくて、相互に反対ではないのに常に反対の性格をもつものもまた、そうなのだ。これらのものもまた、自分自身のうちにある性格(イデア、形相)と反対の性格を受け入れないらしい。むしろ、反対の性格が近づいてくると、それらは滅びるか退却するかなのである。(142)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
なんにせよある[イデア的な]ものがその事物を占拠すると、そのイデア的なものはその事物に自分自身のイデアをもつことを強いるばかりではなくて、自分がつねに持っているあの反対的な特徴[イデア]をも持つようにしいるのだ、と。(143)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
この2つの引用箇所が後に魂は不死であり不滅であるという論理の根拠になっていくのでとても重要。じゃあここからは本文を引用しながら図式化してこの論理を理解していく。
・「3(数字の)」のイデアがある事物を占拠する。
・魂
↓
・「3」であり、「奇数」でもある。奇数性。性質(A)
・魂は生をもたらす
↓
・反対は偶数性。よって偶数のイデアは決して近づかない。性質(B)
・死は決して受け入れない。
↓
・「3」は偶数とは関わりがない。非偶数的なものである。
・魂は不死であり不滅である。
ただ単に、反対の性質同士が互いに相手を受け入れないだけではない。事物もまた、それが何に立ち向かってゆくにしても、なにか反対の性質(A)をそれが立ち向かってゆくものにもたらすのであるから、そのもたらす事物自体は、もたらされた性質(A)とは反対の性質(B)をけっして受け入れない、と。(144ー145)
『パイドン』プラトン著岩田靖夫訳(岩波文庫)より
どうしてこういう議論になったかと言うと、ケベスが魂が不滅であり不死であることが証明されることを望んでいたことによる。その回答がこのソクラテスの行になるのだ。ここでも主として語られているのはイデア論で、魂だけが生きて感得する真実在であるイデア、そのものであるもの「美しいそのもの」とか「正しいそのもの」、という意味での真実性はその存在故に反対的なイデアも生じさせる、といっている。そのものであるがゆえにそれではない反対のそのものが存在する。
それはさておき、このイデア論につていは私はまだかじった程度でしか知識はないが、実際にこの「魂が生きてイデアを知る、感得する」というのは一体どういう事態のことを指すのだろう。いまいちイメージがつかないでいる。『国家』の洞窟の比喩あたりではぼやっとわかっていたつもりだったが、『国家』以前にだされたこの『パイドン』ではまだイデア論じたいがおぼろげな感じがする。なんとなくだが。
人に見せられる内容ではないが、とにかくアウトプットしておきたかったので。とりいそぎここまで。