昨年の今頃NPO法人を立ち上げようと奔走していた

昨年の今頃から僕は障がい者の就労支援をメインとしたNPO法人を立ち上げようと動き始めていた。そのことが手帳のメモに残っている。何をしたかったかと言うと、養蚕。そうお蚕さんを育てて絹糸を生産することを考えていたのだ。なぜ、養蚕を?となるわけだが、実はその当時Twitterでとある学生さんが養蚕農家さんの様子を映像で残す研究をされていて、その様子が都度Twitterにアップされていた。私はその養蚕という初めて見る業態に「あ、もしかしたらこれ障がい(主に知的障がいをもっている青年たち)を持つ青年たちの仕事として最適じゃないか」とひらめいたのだった。

単なる製造業でなく生き物を扱ってそれを育てながらものを生産していく。生き物とともにある仕事のあり方と障がいを持つ青年たちの仕事のあり様がマッチングしたのだった。私は過去に知的障がいを持つ青年たちと豆腐をつくったり野菜をつくったりしていた経験がある。そのときに感じたのは、とにかく彼ら彼女らの仕事への取り組みの真剣さと丁寧さ、なによりも仕事を大事にするという姿勢に驚いたのだった。なので養蚕と言う仕事は彼ら彼女らに最適であると思ったわけだし、良い絹糸を生産できると踏んだのだった。

「やろう」と決めたらもうその後は早かった。すぐにTwitterでその学生さんと連絡をとり、養蚕農家さんへ見学できないかを打診した。農家さんに了解をもらったらすぐに日程調整をして群馬へ行った。初めて見る養蚕農家さんの仕事と実際に蚕を見た驚き、そして湧き上がる興味関心。矢継ぎ早にいろんな質問を農家さんにしたのだった。楽しかった。こんな仕事が世の中にはあるんだという驚きと、実際にやれそうだというイメージが頭の中で整理されていった。群馬は富岡製糸場が残っているぐらい日本でも最も養蚕が盛んな地域だ。実は私の発案をすでに障がい者就労支援で取り入れてやっているところもいくつかあるとその農家さんで伺った。その施設はおなじく群馬にあるとのこと。そこは後日見学に伺うことになったのだが、昔からある農家づくりの養蚕施設ではなく新規に倉庫を建てて養蚕設備を整えているところだった。障がいを持つ青年たちが働きやすいように工夫もされていた。もうそういう実際の実践や設備をみるともう自分もすっかりできるのではないか、という気持ちになってくるから不思議だった。

結論から言うと、僕はこのNPO法人設立の動きは止めたのだった。やらないと決断をしたのだった。融資が可能であるという話まで進んでいたのだが、最終的にやらないと決めた。何故か?僕の力量では会社経営は無理だと判断した。僕一人で進められるのだったら責任も自分で負えば済む。でも社員を雇うことになったときに、僕は彼ら彼女らの生活を守ることできるか?と考えたときに僕の力量ではとうてい守りきれないと判断したのだった。ましてやまだうつ病が寛解していない。そんな不完全な情態で船出は不可能だ。

今も書棚に「NPO法人設立準備ファイル」がどかっと置かれている。部屋の風景の一部と化してしまったが、わからない、またいつの日かそれが「積ん読」効果でまた機能するやも知れない。人の人生とはどうなるかはわからないのだから。

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