
プラトンの従兄(プラトンの母親方の)にあたるクリティアスという存在。彼はアテナイにおいて前404年に寡頭政権を樹立し「三十人政権」と呼ばれる政府の中心を担った。
青年プラトンはこの政権とその変革に大きな期待を抱いていた。
「ポリスを不正の輩から浄化し、残りを徳と正義へと向ける」と高らかに宣言し、それまで民主政下で蔓延していた悪弊を一掃する方針を打ち出す。
しかし
時がたつにつれてその思いは失望に変わる。彼ら(クリティアスたち政府中心者たちは)は
「正義と思慮深さ」という理念を掲げて遂行したことは、敵対勢力の粛清や財産の没収であり、それは次第に一般市民や在留外人を巻き込む恐怖政治へと変貌していった。
その結果どうなったかというと、反対勢力によって倒されわずか8ヶ月で革命は失敗に終わるのだった。
なぜ高々と崇高な理念を掲げていたクリティアスたちが失敗をしたのか。単純に彼を悪人と仕立て上げるだけでは済まない何か重要な問題がそこにあったのではないか?というのがプラトンの気付きであり対話篇という形をとおして考えるきっかけでもあった。
ではプラトンはソクラテスをして対話の相手にクリティアスに何を語らせたかったのか?
「思慮深さとは何か」とソクラテスはクリティアスに問うのだ。ソクラテスのディアレクティケーによってクリティアスの政治イデオロギーやクリティアス自身の生が暴き出されていく。
ソクラテスはデルフォイの箴言「汝自らを知れ」に触れ、それを起点にクリティアスの歪みを暴き出す。クリティアスはその箴言の意味をすでに自らを知る者に対して行っているのであって「汝自らを知るものよ」と呼びかけているという。そこに透けてみえてくるのが、「知らない」という自己のあり方を認識(不知の自覚)することではなく、自己を「知るもの」(自己知)として自覚するというエリート意識、特権階級としての意識であった。
さらにクリティアスは、被統治者である一般人にはそのような自己知(自己を知るもの)を認めず、自己知(自己を知るもの)は自分たち(クリティアスをはじめとする統治者)にしかないと明瞭に線を引くのであった。「思慮深さ」にあずかる少数者(クリティアすら統治者)とそうではない一般人、といった具合に。
さらにクリティアスはソクラテスの問に対して自己知を「他の諸々の知の知であり、かつ、それ自体の知」といい更に「知っているものと知らないものを知ること」と置き換える。
つまり、特権的な自己知をもつ少数の支配層が、諸々の専門技術はもつものの自己認識を欠く一般人を支配し監督する、その知が「思慮深さ」と考えられている。そういった政治は、統治者による絶対的で一方的な支配であり、そのもとで被統治者は盲従することが定められていた。これがクリティアスの「思慮深さ」の理解であった
『シリーズ・哲学のエッセンス プラトン 哲学者とは何か』納冨信留(NHK出版)より
一見すると崇高におもえる「思慮深さ」という言葉の意味、またはクリティアスが理念として掲げたものを、ディアレクティケーによってその真意をあぶりだしていく。クリティアス自身の「思慮深さ」の理解そこにが問題の根源であったことを明らかにする。そこには「思慮深さ」とは真逆の支配、被支配の構造が埋め込まれていたのだった。それ故に志高く政治の世界に進出していったものの見事に失敗に終わってしまうのだった。
要するにプラトンがソクラテスを対話篇にて生き返らせることで何をしたかったかというと哲学の問答(ディアレクティケー)であり、そこから導き出される「より善きもの」が何かという問だったのだ。崇高な理念は一見するとすごく立派に見えて人々を引き寄せる魅力に溢れている。しかしその底流に流れる真なるものは何なのか?プラトンが政治の表舞台に立たずに哲学の途をあるき続けたきっかけがクリティアスの一件であったことは間違いない。
*『シリーズ・哲学のエッセンス プラトン 哲学者とは何か』納冨信留(NHK出版)の44ページから60ページまでを要約しつつ若干私見も含む。一部本文を引用したところあり。