
仕事柄子どもたちの本音に触れる機会が結構ある。小沢くん(仮称)というその男の子は現在中学2年生。親御さんとの関係がうまくいかず児童相談所一時保護所に保護されて後施設入所措置となり僕のいる施設にやってきた。僕はその子の担当になった。担当になったからというわけではないが、彼は屈託なく色々と僕に話しをしてくる。頭の良い明るい元気な中学生だ。
仕事柄ちょっとした表情や言葉遣いからその子の背景や状況を読み取ってしまうが、小沢くんと接していく中でわかってきたのは、この子は小さいときにどこかでしっかりと大人に大事にされている経験があるな、ということだった。寝る前の時間にちょっとした振り返りの時間をもつことにしていて、その時に僕の方から少し聞いてみた。
僕「小沢くん。小沢くんをみてるとね、お母さんがすごく優しい人のような気がするんだよ。」と。
すると小沢くんは
小沢くん「そうなんだよ。お母さん、すごく優しいんだ。」と答える。
小さいときに大人との関係が決定的に壊された子は、大人との距離のとり方がわからない子が多い。そういう子は僕の勤めているような施設に来たときに、大人(職員)との距離がとれずに苦労をする。小沢くんは、拒否感もなく自然にスーッと話しかけることができているし適度に甘える甘え方も心得ていた。なので上のような予測を僕はもったわけだ。そんな小沢くんがちょっとした外出でとある職員と子ども2人とでかけて帰ってきた。疲れた様子が見て取れたのですぐにお風呂に入るようにすすめた。お風呂の湯船につかっている彼と話をするのが日課になっているので
僕「なんだか疲れているようにみえるけど、大丈夫?」
小沢くん「うん。疲れた。あのさ、僕ね小さいときからお父さん、お父さんすごい気分屋だったからいつも顔色ばかりみて生活してたんだ。いつ怒るかわからないんだもん。だから今日お出かけしたでしょ?そういう時人の顔色をみて気をつかっちゃうんだよ。だから疲れるんだよ」
と話してくれた。
僕「そうだっただね。大変だったんだね。それは疲れるね。今日は小さい子もいたし面倒見てくれてありがとう。」
と答える僕。
小沢くん「疲れたー!!!」とため息とともにつぶやく。
14、5年間、彼が背負ってきた人生の一部分がとあるきっかけに垣間見えてくる。小沢くんのように言葉にできる子はめずらしい。大抵の子は言葉以外の表現によって表してくる。親と同じ表現方法で表現をすることしか知らない子、殴られてきた子は殴るという表現、罵られた子は罵られたそのままの方法で。
だから僕ら職員はその子のそだってきた背景をしっかりと調べて、その子が表現する色んなものを変換する作業を行うことになる。この子の育ちの過程でその子をしっかりと受け止めてくれていた存在はあるかないか。いわゆる育ちのベースになる何かを育む環境はあったのか、そういうことを探る。あればあったでそれを大事な宝物としてよりよいものにしていくし、なければそれらベースになるもを僕たち職員集団は作っていかないといけない。
時間のかかる作業だが、子どもたちがいったんこのベースを獲得するとそれ以後の成長は想像を絶するぐらい急伸するのだ。子どもたちの生きていく力強さにはいつも圧倒されるばかりだ。