『カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)を少しだけアウトプットしてみる。

正直理解できているのかどうかわからない。なので文章化できるかどうかもわからない。でも肝心な点、ここがプラトンの言いたかったところだろうなあ、というのはわかるのでそこをアウトプットできればと思う。さて、できるか。とにかくやってみよう。

この本は「克己節制(思慮の健全さ)*納冨信留先生は(思慮深さ)と訳している」とは何か?ということを追求する内容となっている。本の題名にもなっているカルミデスは若い青年で、ソクラテスからそれを問われ、「物静かさ」「羞恥心」「自己のことをなすこと」と回答していく。しかしそれらはソクラテスの問答によってそうではないことが明らかにされていく。そしてこのやりとりをみていたこの本の本幕であるクリティアスがいよいよ登場となる。クリティアスは知性があるもののプライドが高く自己顕示欲も強いといった青年として描かれている。カルミデスが早々にさじを投げて自分の方にバトンを渡した時は顔を真っ赤にせんばかりにソクラテスに食って掛かっていった。

さて、クリティアスにバトンが渡され克己節制(思慮の健全さ)について議論が進んでいく、クリティアスはついにいくつかの考えを出してきた中で次のようなことを提起した。

(クリティアス)この克己節制(思慮の健全さ)だけは、ほかのいろいろな知についての知であるばかりか、それみずからについての知[知の知]でもあるのです。(74)

カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)より

またこうも言っている

「ほかの知とちがって、それだけがそれ自身についての知であり、また、ほかのいろいろな知についての知でもあります」(76)

カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)より

クリティアスが出してきたこの知の知は、全てに知の上に君臨する知であり絶対的なものである。その知を知っているものは無知の知もしっているという万能的でありまた支配的な知でもあるのだ。そこに引っかかるソクラテスは以下のように答える

「それなら、克己節制(健全な思慮)の人だけが自己自身を知っていることになり。自分はまさしく何を知り何を知らないかをしらべあげることができることにもなる」(76)

カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)より

ソクラテスはこのクリティアスの提出した考えに疑問をいだき続けるが当のクリティアスは

もし人が知自身を知る知というものをもっていれば、かれは自分のもっているその知と同じような性質の人になるでしょうからね。

カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)より

と平然と答える。ソクラテスはこのクリティアスの思想の危険性を次のようにあげる

われわれが克己節制(思慮の健全さ)をもつことによって受ける利益は、大変なものだろう!とわれわれは主張するよ。なぜって、そうなれば、克己節制(思慮の健全さ)をもっているわれわれ自身も、われわれに指導されるほかのすべての人々も、過失なく生きていくことになるだろうからね。というのは、われわれ自身にしても、知らないことがあれば、それを自分でしようとはせずに、だれかその方面の知識のある人を見つけ出して来て、その人に譲ってやってもらうだろうし、われわれの指導をうけるほかの人びとにも、やれば正しくやれるにちがいない事柄ーすなわち、あらかじめかれらの知っている事柄の場合ーしか、行うことを許さないだろう。

カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)より

全部わかっている知の知というものがあれば、あらかじめ知っていることや知らないことをわかっているわけだから、想定外な知的活動(もちろん知らないことも入る)はゆるされなくなる。それは世間を構成する知的であるということを支配する、という思想なのではないか、とソクラテスは言っているのだと思う。一見するとこれで世の中はうまくきれいに動いていくだろう。そしてそれは過失もなく見事なきれいさや美しさを求められるのではないか。それは実はかなり支配的な思想ではないか、と。果たしてそれが克己節制(思慮の健全さ)というべきものなのだろうか?そしてソクラテスはこう言うのだった

もはやわれわれは、知にしたがって生きるものはいいダイモーンがついている(幸福である)という説を守っていないということになるね。だって、上述の加工や細工に従事している人々は、知にしたがって生きているのに、幸福だという同意がきみからはもらえないのだから。むしろ、きみは、幸福なひとというものを、もっぱら、なにかある事柄(について)の知にしたがって生きている者だけにかぎっているように、僕には見えるよ。

カルミデス』プラトン著山野耕治訳(岩波書店)より

社会を構成させている人々の知というものが無数にあるが、クリティアスの言う知の知によって配慮されているということは、それはコントロール下にあるということで結局幸せではないのではないか、とソクラテスは述べている。

(まとめ)

クリティアスは前404年に「三十人政権」の政府の中心人物となる。その時その政府が掲げていた理念が「正義と思慮深さ」であった。実際はその理念とはかけ離れた恐怖政治が展開されまもなく行き詰まって政府は倒れる。プラトンは自分の家筋でもあるクリティアスが崇高な理念を掲げながらなぜ間違った方向へと向かっていったのか、それをソクラテスの対話篇を通して吟味したのだった。吟味した結果、クリティアスが克己節制(思慮の健全さ=思慮深さ)として出してきたのは「知の知」であり、そこに一般の知識を更に上から支配する特権的な知があるということをあぶり出したのだった。彼、クリティアスが思想的に支配意識をもっていたこと、それが崇高な理念によって隠されたまま実際の政治へと突き進んでしまった。そこに大きな問題点があったのだ、と。

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