世の中のレールというものがあるなら完全にそこから外れた歩きをしている

常々仕事をしながら思う。僕の人生はことごとく世の中のレールというものがあるなら完全にそこから外れた歩き方をしているなあ、と。おそらく黙っておとなしく会社勤めをしていれば、そうレールに乗っかって仕事をしていれば、そこそこ昇進をしそれなりの地位にいただろう。

なぜなら僕に実力があるとかではなく、年功序列的に役が与えられていくだろう、ということだ。年向上列という制度は良く出来ていて、やはり僕みたく49歳にもなれば体のあちこちにがたが出てきてだんだんと無理がきかなくなる。なので無理のないように年齢に見合った仕事というか環境が与えられるというのも悪くない。正直そう思う。

まあ、でも、僕はそういうレールに乗っかることはなかった。上に立てないのである。上に立てば立つほど「自分はまだまだだ。人を指導できる立場にない」と思ってしまうのだ。思うだけなら良いが、そういう指導的な立場になったりしてそれが続いてくると

「こんな俺が偉そうにしている。駄目な俺なのだ。まだまだだ。成長しないといけない。ここで安住してはならない」

と戒めてしまう。じゃあどのように行動するかと言うと転職してしまうのだ。そうその場から逃げて新しい環境を求めて行く。ぐっと自分のレベルを下げて成長できる場所をさがして。そういう時に一番苦労するのは新しい環境ではなくて実は自分のプライドだったりする。新しい環境では自然と僕は下の位置にいることになる。でも経験や知識はたくさん積んでいる。それを前面に「僕はこれだけ出来ます」とやると周りにいる人達は「なんだこいつ」となってしまう。この時点でどれだけ自分の考えや行動を低い位置へもっていけるか。それが大事である。その時にプライドは後ろに追いやって「何でも勉強します!!」的な姿勢が超重要になってくるし、経験上それで大体はうまくいく。

僕はこのやり方で自分をリフレッシュすることができたし、仕事への探究心も枯れることなく現在までやってこれた。ソクラテスの言う「ひとかどの人間らしい顔をしたなら戒めてほしい」ということを自分にい言い聞かせてやってきたつもりだ。「僕はこれでいいや。」とか、地位に安住するという安定は僕の人生という本線とはちょっと違う位相にあるのだと思う。でもかっこいいことは言わない。体はあちこちガタがきているし無理もきかなくなっている。一日椅子に座ってハンコだけ押してみたいなあ、と正直思うときもある。

しかし、僕の人生でそれはないと思う。身体がボロボロになりながらも「自分であり続ける」生き方をしていくのだろうと。大好きな読書も、仕事にリアリティーを感じられなくなったら「何のために本を読むのか?」となってしまうだろうから。さて、昨日から古傷の左膝の痛みが絶賛再発中。ロキソニンを貼りまくってなんとかしのごう。そして本を読んでまた明日の自分の糧としよう。

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