
世の中を見渡せば理解に苦しむ事件がたくさんある。一見すると他人事のように見え、その悪事を働いた当人をひどく責めている自分がいたりする。その時自分は決してそのような悪事は働かないと強く思っていたりする。そう自分は正義の人になっているのだ。
そうだろうか?自分は決してそのような悪事を働くことはないのだろうか?僕は果たして正義の人なのだろうか?僕もなにかのきっかけ(契機)があれば悪事を働いてしまう可能性だってあるはずだ。それも充分に。今の今まで偶然にもそのようなきっかけを得ることなく過ごせてきただけではないだろうか。僕は自分の正義を信じたいが、同じぐらい自分の不正義もありうると思っている。
善く生きたいと思う。誰しもそう思っているはずだ。僕もそう思っている。でも人は1人では生きていけない。少なからず他者と共に生きなければいけない。そう、そこで引き起こされる様々な出来事がきっかけになる。人が生きる上でそうなるのは必然であるのだ。必然であるということは、契機(きっかけ)さえあれば誰しもが悪人にもなるし、ましてや善人にもなるのだ。いつもその両方に人は振れるだけの状況にあるのだ。
僕の中には不正義な自分が間違いなくいる。いつそれがきっかけを得て飛び出してくるかわからない。じゃあ何が自分を悪人にすることなく少し善人よりの生き方ができているのか?教育のせい?理性のおかげ?もっと身近で家族の存在?それらのどれも当てはまる、それらがあるから悪人にならずに済んでいるのも事実だ。しかし何よりも自分がそのような悪人になる可能性を常にもっている弱い存在であることを自覚しているからだと思う。僕は自分に自信がない。そう思うぐらいがちょうどよい生き方になるのだと最近は思っている。