
「徳は教えることが出来るのか?」というメノンの問いから始まるが、ソクラテスは「いや、そもそも徳とは何であるかを知らなければ徳を教えることなんてできない」と答える。しかしメノンの執拗な問いかけにより「徳は教えることが出来るか?」に議論は進んでいく。
しかし議論の進む中で有徳な人と言われる人たち、政治家だったり偉人と呼ばれる人たちは、実は自分たちのもてる徳というものを教えることもできないし、教えることもできないので教わる人もいない、ということはそもそも徳とは知識ではないのだ、という結論に至る。
そういう人たちーテミストクレスらをはじめ、さっきこのアニュトスがあげていた人々ーは、なにかある知によって国を導いていたわけではなく、またそれは、彼らが知者だったからというわけのものでもないのだ。だからこそまた、彼らは他の人々に、自分と同じ能力を授けることができなかったのだ。つまり、彼らの能力のよってきたるところは、知識にあったわけではないのだからね。
『メノン』プラトン著藤沢令夫訳(岩波文庫)より
そして更に
徳とは、生まれつきのものでもなければ、教えられることのできるものでもなく、むしろ、徳のそなわるような人々がいるとすれば、それは知性とは無関係に、神の恵みによってそなわるものだということになるだろう。
『メノン』プラトン著藤沢令夫訳(岩波文庫)より
こうしてソクラテスはメノンの問にはっきりとした答えを導き出した。が、メノンにこ返答をしたあとにソクラテスは「徳がそなわる以前に徳それ自体がそもそも何であるか?ということが大事じゃないか」と最初の問いに戻して言い去っていく。
(感想・雑感・まとめ的なもの)思ったより読みやすかったし内容も一度で概ね理解できた(実に珍しい)。「そもそも徳は何であるか?」という根源的なソクラテスの問いに対してメノンがいとも簡単に答えるもののそれらはすぐにソクラテスのディアレクティケー(問答法)によってアポリアに陥ってしまい、結局その徳とは何であるか?は答えがでずに終わっている。それが実におしい。途中でアニュトス(ソクラテスを告発した人物)を登場させるところもプラトンの何か強い意思を感じさせられる。有徳な政治家だったり人物だったりが、実は裏打ちされた知識の上に成り立っているのではないということをずばり言い切っているのが爽快だ。偶然の産物でしかない、と。