『テアゲス』プラトン著北嶋美雪訳(岩波書店)をアウトプットしてみる

(解説・要約)解説(*北嶋美雪氏の解説を要約)によるとこの『テアゲス』はプラトンの作品の中でも真作と呼ばれるものでなく偽作にあたる可能性が大きいことが書いてある。その理由として①ソクラテスによる「ダイモーンの合図」がプラトンの他の対話篇と首尾一貫性を欠く②教育の問題を語りながら、この種の対話篇では共通に見られる「徳」と「知」的な観点が欠如している③「主題」が曖昧である、論理の運びにプラトンに見られる整然さが欠けている。構成上の起承転結がはっきりしていない、錯綜している、など。また別に、『テアイテトス』(プラトン著)の産婆術と「ダイモーンの合図」に影響されて『テアゲス』を書いたとしても、逆算してプラトンが若い時に本編(『テアゲス』)のような考えを持っていてそれをその後『テアイテトス』に結びつけた、とも考えにくい。それよりもプラトンのそれら作品を読んだ者がいて書いたと想定したほうがわかりやすい、というもの。

(あらすじ)デモドコスの息子がテアゲス。知者になりたいと願う息子テアゲス。父であるデモドコスは息子の願いをかなえるべく息子を弟子にしてくれる人をさがしに街へ出てくる。そこでソクラテスと出会う。デモドコスはソクラテスに息子テアゲスの先生になってほしいと嘆願する。まあでもまずは息子さんの話をしっかりと聞きましょうとソクラテス。知者になりたいとは?知恵とは?とソクラテスはテアゲスに問いかけていく。そこでテアゲスから出てきたのは「国家社会のうちにある人間を支配するすべを知るものだと、私は思います」だった。それを別の言葉で「独裁君主になることをのぞんでいる」とも言っている。ソクラテスが問い詰めていくとガチガチの強硬的な独裁君主になりたいのではないことがわかってくる。「相手の合意を得て支配することです」と表現が変わってくる。しかし実際政治家である者は自分の息子たちを自分たちで教えることは出来ていないではないか、じゃあ誰が教えるべきなのか?ソクラテスあなたが教える人になってくださいとテアゲスは言うのだった。そんな私は全然役に当てはまらない。プロディコス、ゴルギアスなどがいるじゃないか?彼ら知者と言われる人に師事したほうが良いとソクラテスは断りの弁を語る。僕は恋に関することぐらいしか教えることはできないと。ソクラテスは自身にそなわるダイモーンの声が自分を制止するだけでなく関わる人の生きざまにまで影響を及ぼすことに危惧をしていることを率直にテアゲスに語る。良くなるときもあれば同じぐらい悪くなるときもある、と。だからこんな不確実な僕みたいなものにつくよりもソフィストと呼ばれる人たちについたほうが良いのだと語る。あくまでも自分ではないと主張するソクラテス。最終的にはテアゲスから一案出される。「私はソクラテスにつきます。そしてダイモーンの合図がどんなものであるかを試してみましょう。ダイモーンがゆるしてくれないというのであればその時はなだめる方法などを一緒に考えましょう。」と。ソクラテスは「じゃあ、そうしよう」と受け入れる。

(雑感)他の対話篇に比べてソクラテスの問答が非力のような印象を受ける。全体を通して言葉に重みが感じられない。いつものソクラテスだったらもっと「知とは?」「徳とは?」ともっと問い詰めていくはずなのにそれが実に弱いのだ。解説を事前に読んでいたからと言うのもあったが、そういつものソクラテスがそこにはいないような気がした。

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