ついにプラトン全集が届くのだ

これまでの人生において1人の作家の本を全部集めるのは何度あったことだろう。それほどなかったように思う。この度プラトンの全集を購入したのも『ソクラテスの弁明 クリトン』プラトン著との出会いがあったからだ。そもそも古書店にいかなかったら一生読まなかったかも知れない。もうちょっと遡れば『ニコマコス倫理学』アリストテレス著を読んでいなかったらギリシャ哲学に興味関心をもつこともなかったし古書店の書棚からプラトンの本を選ぶことさえしなかっただろう。本との出会いは本当に奇跡の連続の上に成り立っているのだなあ、と改めて思う。

僕の人生計画では2021年が終わるまでにこの全集を読み切って、と言ってもそのうちのほぼ1/3はすでに読んでアウトプットしているので、残りの2/3を読み切ってそれぞれをアウトプットすることが目標である。なぜそこまでプラトンに力を入れ込むのかと言うと、プラトンが文字によって現代にまで生きながらえさせたソクラテスの生そのもの、その魅力である。「知」とは何か?「徳」とは何か?と現代でも答えをもとめることが難しいことに真正面からぶつかり、わからない自分(無知の自覚)を積極的に出しながら、それでもそれらを追求していく。あとはやはり洞窟の比喩とかで燦然(さんぜん)と表現したイデア論であろうか。この概念が僕の中にインプットされた時点で社会の見え方が変わったのだ。いかに自分たちが洞窟の中で限定的な幻影を見て生活しているのか、ということ。あとは紀元前のプラトンの著作が現代までちゃんと残されて来た奇跡だろう。

50歳手前でプラトンに出会い、さあ、残された僕の人生にどんな影響を与えるのだろうか?今の自分の仕事で言えばやはり子どもたちが毎日提出してくる生の問いそのもにに答えるためのテキストになるのだと思う。さあ、今日全集が届く。そして僕の書棚に全集がならぶ。紀元前の哲人の言葉が現代に蘇るのだ。

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