『クラテュロス』プラトン著 水地宗明訳(岩波書店)から抜粋しただけのもの

ソクラテスの全財産はクセノポンによると(家と家財道具を含めて)5ムナ(500ドラクメ)くらいだったという。*1ドラクメが小麦17リットルぐらいに相当(7)

事物はわれわれとの関係において(相対的に)有るのではなく、またわれわれの表象によって上へでも下へでも引き回されるというふうに、われわれに依存しているのでもなくて、それ自身において、それ自身の固有の有り方に従って、本性的に定まっている仕方で存在するのである。(14)

従って名付ける場合もーさっき言われたことに一致するように言おうとするならばーわれわれの欲するままに名付けるべきではなくて、事物を名付ける作用と事物が名付けられる作用の本性に合うしかたで、本性に合う道具を用いて、名付けるべきではないだろうか。そしてそのようにするならば、われわれはそのことに成功し、名づけたことになるだろうが、そうでないと反対の結果になるのではないだろうか。(17)

してみると名前は一種の教示的な道具であり、そして事物の有り方を区別する道具であるわけだ。(20)

してみると教示の技術を持つ人が名前を使うときには、立法者(法律、慣習を制定する者)が作ったものを使うのだろうね。(21)

つまり(製作者はそれぞれの用途に)本性上適した道具(の形)を発見して、それを、道具がそれから作られるところのもの(つまり材料、素材)の中に与えねばならないのだ。何でも彼自身の欲するようなものをというのではなくて、本性上適しているような道具(の形)を、ということだ。(23)

ヘラクレイトスは「すべては去りつつあり、何ものも止まらない」と言っているね(61)

してみると名前とは、模倣される対象の音声による模造品である。そして音声で模倣する人は、何であれ彼が模倣するところのものを、名づけているわけなのだ。(121)

なぜなら彼は、僕の思うに、rの字の発音に際して舌が(他の場合に比して)静止することの最も少なく、震動することの最も多いのを看て取ったからなのだよ。それだからこそ彼は、これらのことを表すのに、この字母をしきりに用いているのだと、僕には思えるね。(131)

もしこれらの名前を定めた人たちが、万物は常に行きつつあり流れつつあると本当にそう考えて命名したのであるならばーというのは、僕には実際彼ら自身もまた(もっと後世の、はっきりとそう言った詩人や思想家と同様に)そのように考えていたらしく見えるのだがねーそして他方、事実(万有の実相)はもしかしたらそうではないのであって、むしろ彼ら自身がいわば一種の渦巻の中に落ち込んで、くらくらと目がくらんだばかりでなく、われわれまで巻き添えにして同じ所に引きずり込んだのであるならば(あの大多数の名前がわれわれを欺く恐れがあるのだから)ね。そこで、さあ、驚嘆すべきクラテュロスよ、ぼくがしばしば夢見てきたものを、考察してくれ給え。どちらだね、何かそれ自体で美しいものとか、それ自体で善いものとか、その他有るもののそれぞれについても同様だが、そのようなものが存在すると、われわれは主張すべきかね、それとも否かね。(166)

美自体、美のイデア(167)

しかし、もし一方において認識するもの(認識の主体)が常に存在しており、他方において認識されるもの(客体)が常に存在しており、美が存在し、善が存在し、もろもろの有るもののそれぞれが(常に)存在しているのであるならば、われわれ(ぼく)が今あげたこれらのものは流動にも運動にも全然似ても似つかぬものであることが、僕には明白だね。(169)

『クラテュロス』プラトン著 水地宗明訳(岩波書店)より

(感想)読んでみたもののやはり理解には程遠い。なので今回はマーカーを引いたところをそのまんま抜粋した。紀元前の時代に言語学とかそういう分野がないにもかかわらず未開の分野に分け入り哲学で解き明かそうとしたプラトンのすごさを感じた。それぐらいの感想しかない。なぜなら理解できていないから。さて、もう一度読み直そう。

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