
押入れの中の「大事なものボックス」という名の何でも詰め込む実に便利な箱に一枚の証書が仕舞ってある。
「合格証書 氏名 なお坊主 生年月日 1970年○月○日 宅地建物取引業第16条の2第一項の規定による〇〇県知事の委任に係る平成26年度宅地建物取引主任者資格試験に合格したことを証する 平成26年12月3日 一般財団法人 不動産適正取引推進機構 理事長〇〇〇〇」
平成26年だから今から約6年前になる。僕は離婚したばかりで公団で一人暮らしをし始めた頃だった。正確に言うとこの宅地建物取引士に合格するのに2年間勉強したので、勉強をし始めたのが平成25年だった。平成25年の試験は不合格で次の年の平成26年10月の自身2回目のチャレンジで合格した。
このブログでも書いている通り僕は福祉業界で長く仕事をしてきた。なので正直この宅地建物取引士という資格は僕の生活には必要のないものだった。じゃあなぜ?なぜこの資格を取ろうと思ったのか?1つには、僕はそれまで試験という試験が大の苦手だった。試験という試験は避けて生きてきた人生と言っても過言ではない。そんな人生を振り返った時に「ずっとこのまま試験から逃げても良いものだろうか?」とふと思ったのだ。だからどんな試験でも良かった。ただ、受験資格(要件)を求められるものは面倒くさかったので、誰でも受けれるこの資格にしたのが1つ。
もう1つは、福祉の仕事をずっとやり続ける自信が無くなってきていた。体力的にも精神的にも限界を感じつつあったのだ。このとき年齢は42歳ぐらい。福祉の仕事にあぶれても食っていけるように何か資格を持っておいたほうが良いだろう、そう思った。新聞広告やネット広告でもよく目にしていたのが宅建こと宅地建物取引士の資格だった。単純にこの資格さえもっておけばなんとかなる、というぐらいの気持ち。それが2つ目の動機。
40代に入ってから僕はずっとうつ病で今日まで過ごしてきた。なのでこの資格の勉強をしていた時もしっかりとうつ病だったし、お酒も毎日結構飲んでいた。アルコール依存症の真っ只中。実は3つ目の動機というのが、このお酒にまつわる理由であって、お酒を飲む時間を減らすために勉強をするということだった。何か強制するものをもたないとひとりで生きていくことが難しい、そう思ってのことだった。
今にして思うに、この資格をとるために費やした2年間というのは何だったのだろう?と。国家資格に合格したという自信はついた。試験勉強のノウハウも身についた。自分でもやればできるという少しの自信がついた。しかし、もう50歳になろうかという僕にこの資格を使って仕事をしていくということは無いだろう。福祉の仕事にもあぶれることなく逆にしがみついて仕事をしている。勉強した知識も今ではもう殆ど頭の中に残っていない。結論「よくわからない」というのが答え。