自分と向き合う時間をもつということ-手帳と日記とジャーナルと-

日記にジャーナル、ブログ書きといくつかのものを同時並行的に日々行っている。その中でも日記とジャーナルにかける時間はだいたい合わせて20分から30分だ。毎日手帳にむかってその日その時に自分が感じていることを何でも書き出していく。これがジャーナルだ。ブログともまた違ってジャーナルで書き出していくことは、心の中に浮かぶすべてのことである。だから良いことを書けば悪いことも書く。嬉しいことも愚痴もごちゃまぜになるが今の自分が感じていることをなるだけ文字に起こしていく。この作業が実に良くて、たしかに日々自分という存在はあるのだけど、その「ある自分」というのは一体どういうものなのかを文字にすることによって捉えることができるのだ。素直に「ああ、自分ってこんなことを考えているんだ」とか「この時はすごく感情が高ぶっていたんだ」「なるほど、この時はこうやって解決したんだ」などあとから客観的に気づくことも多く有る。そう、僕という実は抽象的な存在を具体的なものとして浮かび上がらせてくれるのだ。

僕が今ジャーナルで使っているのは、ほぼ日手帳(糸井重里さんが社長のほぼ日刊イトイ新聞の手帳です)でサイズはA6サイズ。開くとパタリと両方のページが開くので手でうんしょと押さえつける必要がなくストレスフリーだ。紙質もすごく良くてスラスラと文字が書ける。使っているペンは三菱UNIの「JETSTREAM」というボールペン。いくつかのペンを試してきたがこのペンに落ち着いた。書き心地がすごく良い。このペンもともとほぼ日手帳を購入するといっしょについてくる。僕はこのペンの上級モデルをご褒美的に買った。お気に入りである。

これほど自分の文字と向き合ってきたことはこれまでの人生でなかった。ジャーナルをはじめたのがタンクローリーの仕事で挫折した時で大きな壁にぶつかって動けなくなっていた。誰も頼る人がいなくなった時に頼れるのは自分自身しかないことに気づく。そして漠然と思い連ねる自分ではなく自分を文字化することによって自分と向き合えることを知った。そこに現れる自分は、不器用で何もない非力な存在であるのだけど、ぼろぼろになりながらも頑張って生きている一人の人間だった。そういうことがジャーナルでは分かるのだ。もちろんTwitterやLINEなどで思ったことを即文字にして表現することもできるが、それだとイメージ的には茫漠とした広大な砂漠に水を流し込むような感じであり、自己に向けて帰ってくるものがあまりにも少ない。自分の文字で誰にも依存せず黙々と自分の文字を紙に書き出しながら自分の文字に映し出される自分を見る、発見する。それは自分の分身を表出させるとも言える。

外部メディアに自分を依存する時代になって久しい。人々は自己の大事な核となる「自分という存在」をどこかで日々数分間でもいいので捕まえておく必要がある。でないとどんどん自分と世界の境界がみえなくなってさまよい歩き続けることになるだろう。

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