お金の哲学ー極私的なものー

お金には名前を書くことができない。だから誰のものでもない、と大上段に言ってみる。働いて稼いだお金でさえもそれは必要なところへさっさと出ていく。一箇所にとどまることを知らない。もちろん銀行に預けることはできるけどお金自体はその間も名無しのままいろんなことろへ出かけまくっている(銀行さんの投資とか?よくわからないけど)。なのでお金に執着するのは土台無理な話なのだ。執着してもいいけど捕まえておくのは本当に骨が折れるのだ。それにまつわるいろんな苦労話はそこら中に転がっている。

だからお金に関しては川の流れのように考えるようにしている。お金の流れる川というのがあって、僕は自分の能力に見合った網でサッとすくいそれが自分のものになる。大きな網を持っている人は大きな獲物が捕れる。それだけの違いだ。そして川というのは蛇行し一定の流れを保っているわけではない。ときには自分からかなり離れたところを流れている時もあれば足元すぐに流れているときもある。その時時で違う。コントロール不可である。自分で今は稼ぎどきだと思っていてもそれは非常に偶然によるところが強い。契機である。または勇気を持って流れを先読みして網を投げ込むかだ。実はお金の流れ=宇宙かもしれない。

守銭奴のごとく腹巻きの中にお金をねじ込んでギラギラとあたりを伺うのではなく、必要な人や物のところにお金をながしていく。なぜならお金にはそもそも名前がないから。向かいたいところへ向かう。それがお金だ。そして再び自分のところに流れがやってくればまたお金は入ってくる。潮目を読めて大漁旗を上げる時もあるだろうしぼーっとしていて潮目を逃し落胆する時もあるだろう。しかし潮目を読むと言っても所詮川の流れの気まぐれさには敵わないだろうが。

これはあくまでもお金に関する僕の哲学的な考えをちょっと申したまで。

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