人の一生は長いようで短い。僕なんてもう49歳だ。

毎日の些細な出来事に一喜一憂して「はあ、明日も仕事じゃないか」と暗澹たる気持ちになることも多く、そして人生を憂いたりすることがあって、でもおいしい食パンに出会えた時は「よし、明日もあの店に買いに行こう!!」なんて思ったりもする。勝手だ。その時時の人生における貴重な一瞬を嘆いたり喜んだり。でも必ずいつか終わりが来る。「死ぬ」という形をもって。

あの頃、そう少年時代に日が落ちてあたりが暗くなる頃、道路を駆け出すとやけに足が早くなったような気になって、日が暮れると人間は変身するのだなんて真剣に思ったりもした。一日がすぎるのは遅くて人生なんてずっと永遠に続くものだと思っていた。あの頃は太陽と共に生きていたのだ。太陽が昇れば一緒に遊んで太陽が沈めば家に帰る。そしてぐっすり寝る。良い夢を見る。そしてまた朝日が昇る。

それが今は太陽の動きなんてものとは関係なく生きている。朝と昼と夜の境界なんて無視して大人の都合で起きたり寝たりしている。それが大人と言う生き物の特性なのかもしれないが、こんな生き方をしていたら時間を見失った生き方になる。そして実際そうなっている。だから僕はいつのまにか49歳になってしまっていて、置き去りにされて不機嫌に泣いている子どものように、日常に文句を言っているのだ。時間よ、なぜもう少し僕を大事にしない!!のかと。

僕らは宇宙という存在とその中に存在する天体と天体のバランスのいろんな複雑な力動の中に身をおいている。おそらくもう目に見えない何かによって運命は紐付けられていて、実は自分たちで意思をもって行っていることでも実は何かによって運び去られていくものの中にあるのだろう。まとまらない文章になったが、子どもって実はそういう宇宙とか天体とかの力動に一番近い存在なんじゃないだろうか。49歳のおじさんは老いることと死ぬことでまたそういう力動の中に戻っていくのだろう。それにしても大人ってすごく勝手な生き物だと思う。自戒の念をこめて。

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