魂とは

魂はどこにあるのか?自分のまわりにまとわりついている幻想をすべて取り払い、純粋無垢なる自分というものが魂とするなら、そんな自分にはどうやったら出会えるのか?目をつむり外界の全ての物音をシャットダウンし、まぶたの裏に浮かんでくる映像までも消し去り、残るは自身の呼吸の感覚だけ。真っ暗で何も聞こえない、無の状態の中であって尚そこに存在する感覚が魂、なのだろうか?僕はわからない。

プラトン、そしてソクラテスは、魂の存在について語る。魂は不滅である、と。人間の身体は魂の借り物でしか無い。人間の死は魂の死ではない。人間の肉体は滅びても魂は生き続ける。そんな魂が僕自身の中にもあるのだ。でもその魂と真正面から向き合ったことがあるだろうか?ない。はっきり「ない」と言える。寝ている時に夢見る自分がそれなのか?わからない。確かに「僕」という存在はある。社会の中に確実に固有的に存在する。でもその存在を真から証明するものはどこにもない。全てが幻想にまみれている。ともすれば一生涯死ぬまでその幻想に依拠して生きるのかもしれない。

でも魂的存在の自分への配慮が何もなされないまま肉体が滅びても、生きながらえる魂が醜かったりしたら死後もずっと苦しまなければならない。魂について真剣に考え抜いたのがソクラテスでありプラトンであった。でも僕はそれらの本を読んでもほとんど理解が出来ていない。つまり魂について何もわかっていない。それは結局何であるかと言うと、魂と向きえあえていないということなのだ。かの有名な「洞窟の比喩」で語られる洞窟の壁面に映しだされる影絵のような世界を世界としてずっと生きてそこで死にゆく。洞窟から出て真なる世界を見ることも知ることもなく。僕の40代はまさに洞窟の中の世界だけで生き、苦しみ、悩み、もがいていた。うずく魂の部分には目を向けることはなかった。

50代は、魂というワードが僕の中心になってくるのだろう。自分探しとも違う。自分の魂はもともとそこにあるのだから。

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