
これは納冨先生(納富信留 プラトンの研究者)の新書を読んでから感化されたものだが、最近ではこと魂について考えるようになった。我々人間は目の前のことを配慮して生きるかそれとも魂の配慮をして生きるかの2択なんだと先生はおっしゃっていた。詳しくは『プラトンとの哲学 対話篇をよむ』納富信留著(岩波文庫)の第2章「魂の配慮」を読んでほしい。目の前の生活も大事じゃないか、という議論はあるだろうし自分もそうだと思うが、先生はプラトンの言っていることは生活云々の大事さよりも、魂のことについて考え生きることが大事なのだとおっしゃる。実は僕はここあたりを読んでいてまだ腑に落ちていない。要するに理解できていない。なので引き続きこの第2章は読んでいかないといけないし、魂の配慮について述べられている『ソクラテスの弁明 クリトン』プラトン著(岩波文庫)を再度読まないといけないと思っている。
でも1つ着想と言うか考え方の新しさと言うか、それを得たのが何かというと、とかく人生は有限だと言われるが、魂の方は肉体が滅びても生きながらえるわけだから、人としての人生が終わっても魂は生き続けるということ。生き続けるのだから、人生有限だと思って落ち込んでいる暇なんて無い!!なので生き方とか充実さとかやり甲斐とか、それを生きているうちにどれだけできるか、達成できるかが遡上にあがるが、じつはそれはすごく近視眼的なもので花火のようにどーんと上がって一瞬の美しさをみせるもののすぐに消えてしまうものなのだ。魂としての生はずっと続く。実はそのことをとくと考えないといけないのだ。ということを納富先生の本では言われているような気がする。
僕はこの着想を得てからというもの肩の荷が少しおりたような気がした。生老病死、人間はそこを避けて通ることはできない。でもそれらが降り掛かってきても魂は生きながらえる。そう思えばこそそこに明るい兆しが見えるというものだ。魂の配慮。鮭みたく回遊して川に遡上してきた僕の次なるテーマは魂、だ。