
時間軸で見ると「たった今」しかない。その今という時間。そして今しか自分は存在しない。もちろん振り返れば過去の自分がいた。「いた」のであって今「いる」のではない。そして未来についてはなおさら自分という存在は未知なるものとなる。なので厳密に自分は今にしか存在しないことになる。過去は変えることはできないし未来を操作することなんて当然できるわけもない。可能なのは今の自分をなんとかすることだけである。だから今を生きることに一生懸命にならないといけない。
生老病死。人が避けて通れない道。時に今という時間が辛くてどうしようもなくなる時が来るかもしれない。でもそれもその時になってみないと受け止めることも受け流すこともできない。要はなってみないとわからない、ということだ。今という時に、未来に向けて来るべき不安な出来事に思い悩むよりも、今できることを最大限やり続けて今を積み重ねていくことが大事だ。不安に押しつぶされては駄目だ。押しつぶされそうになるけど、今を一生懸命生きないといけない。わかっちゃあいるけど、過去を悔やんだり未来に変に希望をいだいたりするのが人間だ。だからこそ「今」の自分を捕まえるのだ。どうやって捕まえるかと言うと書くのだ。今思っていること感じっていること、今自分の中にうずまいている色んな思いを文字に書き残して「今化(いまか)」すること。自分の今を文字で表現する。
うつ状態が少しずつ落ち着いてきはじめると変に未来に希望が膨らんであれこれ考えたりして勇み足になりがちだ。2年前に僕は大事なはずの自分の仕事経験歴に終止符をうって異業種へ転職した。後悔はしていないが、今、また同じような動きをとりそうな自分がいるのだ。そう、今を見れていないのだ。過去の手帳を引っ張り出してきて2年前の自分はどうだったが必死に手帳をめくるも肝心のメモが残されていない。その当時はまだエクスプレッシングライティングはやっていなかった。「あの時と似たような状況なのに、あの当時の自分の様子が知れない!!」とそのことについて非常に後悔をしている。あの当時異業種へ転職した自分の精神状態、思いはどんなものだったのだろう。手帳に何も足取りらしきものが残されていないので知るすべがない。また、同じことを繰り返すのか?それとも今はちゃんと正常に考えられているのか?
答えは「わからない」だ。だから今できることを。今、今の自分をしっかり書き留めておこうと思う。