ぼろぼろの人生である。敗戦投手でいいじゃないか。敗戦投手は腕をさすりながらいつか勝てるだろうと思いまたマウンドに立つ。でも勝てない。

僕の人生はまさに敗戦の連続である。電話向こうで明るく話す娘に唯一伝えられるのは「失敗しても、父さんのようにたくさん失敗しても生きていられる。だから焦ったり失敗したりしても全然大丈夫、やりたいことをやればいいよ」と。

全然自慢できる人生じゃないから、一生懸命今を生きる娘に教導的なことは一切言えない。娘はただでさえ一生懸命生きているからもう父は何も言えないのだ。父としてできることは何があるかというと、生きて生活するということを見せることぐらいだ。そうぼろぼろの人生で、まさに野球で言うところの敗戦投手だ。それも結構年のいった2軍、3軍の。負け続けているし勝てる見込みもない。でも勝ちたいと思って毎日投げ込む。そして見事勝つことなんて出来ない。そうして人生は終焉を迎える。ああ、負け続けて終わってしまった。でも1つ言えるのはボールを手にして投げ続けた、ということだ。投げ続けたということは勝利投手も負け投手も同じことだ。もちろん勝つ負けるは勝負事では大事だ。でも何を投げたか?何を考えながら思って投げたか?が大事じゃないか、と思うわけだ。それがあれば勝っても負けても関係ない。

魂を投げ続ける。根性とかではない。精神論でもない。魂という自分の本性的な自分を投げ続けること。僕は一部分だけであるがプラトンからソクラテスからそのことを学んだと思っている。ボールに魂がのっているか。逆に魂ののっていないボールを投げ続けてしまうと、それは何も投げていないことになるのではないか。敗戦投手、いいことばではないか。今世の中には勝つことばかりが目立って勝ち投手ばかりである。でも肝心なのは魂をのせて投げているかだと思う。

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