『プラトンとの哲学 対話篇を読む』納富信留著(岩波新書)から気なったところをアウトプットしてみる

プラトンの『ソピステス』プラトン著(岩波書店)を読み途中で投げ出して途方に暮れていた時にこの本にであった。納富先生がプラトンの著作についていろいろと丁寧に解説してくださっている。その中で少しだけだが、マーカーで線を引いた箇所をアウトプットだけしてみる。読んだ要訳とかでもない単なるマーカーで線を引いたところを引用するだけである。

必要なのは、惨めで暗くどうしようもない欲望や限界の内にある私たちのあり方を、まず受け止めることです。怪物のような欲望を私たちは生まれ持っています。それをなくすことはできません。また、私たちの生は、無知やごましにまみれています。なによりも、私たちは有限な、死すべき存在です。ですが、真理に目を向け、それを実現する理性、魂の本来のあり方という希望も私たちの内にあります。人間の悲惨を見据える悲観主義と、可能性を限りなく信じる楽観主義、その間で私たちは生きていくのです。(232)

『プラトンとの哲学 対話篇を読む』納富信留著(岩波新書)ー終章 プラトンは何を語りかけるかーより

この納富先生の行は肝に銘じておこう。これを肝に銘じながら生活をし、そしてプラトンの本を読んでいこう。哲学することがどこまでできるかわからないが、自分を覆っている虚飾を削ぎ落とすまで出来なくとも、見ることはできるだろう。

そしてもう一つ、プラトンだったらこう語りかけるだろうと仮定して納富先生が考えたプラトンの語りが以下

では、一緒に、始めから考えていこう。
君たちが「問題だ」と思っているものは、一体何なのか、考えてみたかい。それらは事柄が複雑に絡まり合った怪物のように見えるが、まずは単純な要素に解きほぐしていかなければならない、問いを整理して、そこから考えていこう。それは何だろう。
「問題だ」と思っていることの中には、実はたいしたことがないものだったり、別の問題だったりするものもあるはずだ。何が本当に大切で、何が無視してよいものなのか、それを見極めなければならない。一見新しい問題に見えることにも、惑わされる必要はない。私たち人間がこれまで思索してきた基本的な問題が、やはり根底にあるはずだから。
そして、中間にある自覚を持ち、自分に反省の目を向けながら、勇気を持って自身の理性で考えよう。現実を見据えよう。その綻びに戸惑いながら、「現実とは何か」一緒に問うていこう。忘れてならないのは、問への向き合い方、言葉を語っていく態度、そして憧れ探求して生きること、つまり哲学者であるということだ。

『プラトンとの哲学 対話篇を読む』納富信留著(岩波新書)ー終章 プラトンは何を語りかけるかーより

情報が多い社会に生きる私たちにあって、このプラトンの語りはとても大事だと思われる。ともすれば外部の情報によって自己が形成されるという本末転倒なことが安易に起きかねない時代に生きているわけで、自分というものの確立、それは魂への配慮と言われるわけで、それはますます重要度をます事態になっている。これからの時代、自分という幻想を幻想のまま生き死ぬのか(その幻想は膨大な外部情報によってつくられている)、それとも魂の領域まで降りて「正しきこと」「善きこと」「美しきこと」を魂レベルでどれだけ感じることができるかがとても大事なのではないだろうか。

魂、それは僕の今後の大きなテーマになるだろう。それよりもまずは自身を覆う虚飾について知ることが大事だしそれらを一枚一枚削げ落とすことが先決だ。

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