結局ドクターの前では何も言えず

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今日心療内科の通院日だった。行く前に車の中でstand.fmの収録をした。ドクターに聞きたいことがあって今日はそれを聞くことにしているとしゃべったが、実際ドクターの前に行くと借りてきた猫のように押し黙ってしまってしまい「じゃあ2週間分の薬をだしておきます。いいですか?」僕「はい」で終わってしまった。なんのために片道40分もかけて車を運転してやってきたのか。。。5分で診察おわり。いや3分か。今は重要な決断はしないほうが良いと常々ドクターは言っている。でも僕の中ではそれとは反対に決断しようと動き始めている。理由もちゃんとある。その理由をドクターに伝えたかった。そして理解してほしかった。でも実際は何も言えずに終わってしまった。これは何を意味するのだろうか?おそらく僕の中でちゃんとまとまっていないからだと思う。踏ん切りがついていないのだろう。ちゃんと見通しがもてて納得していればちゃんと言えたはずだ。でも物事の決断ってそんなに理路整然とした上で行われるものなのか?見通しのつかない新しいことにチャレンジするときは清水の舞台から飛び降りるように「えいっ」と動くことがほとんどではないのか?なにもかも丁寧にわかりやすく準備されていたらそれはチャレンジとはいえないよなあ、と思う。でも言えなかった。ドクターに。それはもう一つ理由があって、僕が自分の過去と向き合うのが怖いというのが理由としてある。言葉にしてしまったら自分が駄目になるのではないか、本当に砕け落ちてしまうのではないかと恐れているのだ。だから言えない。でも自分の中では自分に対して何度も何百回とも何千回とも呟いては問うてきた。もういいだろうってぐらい。でも自分に問うているわけだから自分が「いいよ」とも許してくれるわけもない。だから解決していない。だから言葉にしてしゃべりたいのだと思う。でも怖い。そんなジレンマがずっとつきまとう。言っていることが支離滅裂になってきた。要するに誰かのお墨付きがほしいんだと思う。自分に自信がない。50歳の転職なんてまたしても大ジャンプになるわけで下手したら大ゴケするかもしれないからだ。だからこそ誰かに背中を押してほしい。

「はははは!! そんなことだったらいつまで経っても決断はできないぞ!!」ともうひとりの自分があざ笑う。「タンクローリーに乗ると決めたときは自分ひとりで悩み考え抜いて決断したじゃないか!!お前はできるのだ。自分で決めることが。やれ、ほれ、やってみろ。失敗しても自分でケツを拭いたじゃないか。結果なんて気にするな。動きながら考えろ。動的平衡だ。」

「よく言うよなあ。そう簡単に。一度失敗しているから慎重になっているんだよ。こっちは。もし今回転職するとしたら職場の近くに引っ越しをすることになる。もう遠距離通勤は嫌だ。懲りた。とするとだ、娘の住む場所から離れることになってしまう。それは心理的にかなり負担が生じるのではないか?うつ病のことも気がかりだ。薬の副作用はないとは言え、睡眠不足は大敵だしなあ。」

「あほか。お前はもう離婚して家を出た身だぞ。今更一緒に暮らせるわけでもないのに近いとか遠いとか関係ないだろう!!お前は本当に小心者だな。あはは。だから決断すらできないのだ。やると決めたら全身全力でとりくめ。中途半端だと途中で必ずこける。やると決めたらとことん全身全霊をかけてとりくむのだ!!」

さて僕の中の積極派と消極派がせめぎあっている。どちらの言い分もわかる。本当に自分とはとても厄介な生き物だと思う。思うばっかりで全く前に進もうとしない。まあ、こんなことを文字化しないといけないぐらい頭の中は複雑化しておるのです。今のところで順分満足なはずだろう?という声も聞こえてくる(だ、誰だお前は!?)でも何か理由はあるはずだ。これだけ考えてしまうわけだから。

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