死ぬ気でやれ、とよく言われるが

Photo by garvit jagga on Pexels.com

「死ぬ気でやれ」とはよく聞く言葉だ。鼓舞される力強い後押しの言葉でそれを聞くと枯渇したはずのエネルギーが再び充填されるような気がする。気がしてしまうから不思議だ。じゃあ死ぬ気になる「死ぬ」ってことを自分は体験していて知っているのか?いや、死ぬことは経験したこともなければ人づてに教えてもらったこともない。そう死ぬことについては全く知らないのだ。知らないのに「死ぬ気でやれ」と言われるとなんとなく分かったような気になりなんとか力を振り絞って動こうとする自分がいる。でもそれって一体何なんだ?どういう状態でどういう精神状態が死ぬ気なのだろうか?死ぬことをそもそも知らないのだからそれはまったく言葉と実体がかけ離れていると言わざるを得ない。わからないけどなんとなくすごく大変そうにやってみよう、ということなのだろう。

実際に死を目前にした人ならそういう気になれるのだろうか?そういう気というのは、自分を奮い立たせてがむしゃらに物事に取り組むということである。いや、そうはいかないのではないのだろうか。あくまでも推測の域を出ないが。なぜなら死を経験したことも当面したこともないから。だからわからない。わからないからこの「死ぬ気でやれ」という言葉は安易に他人に対しても自分に対しても使ってはいけないのだと思う。実感の伴わない言葉はイメージだけを膨張させる。イメージが膨張するとそれはもうコントロール不可になり私(自分自身)から遠く離れたものを生み出してしまう。それは良くないと思うのだ。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。