
今僕は生きていると言える。なぜならこうしてパソコンに向かって文字を入力して自分の思ったことを連ねているという行為を行っているから。そう確かに生きているのだが、植物のように意思を天体宇宙にゆだねているわけでなく、自分の脳みそという器官と自律神経系によって「意思」なるものをもっている。その「意思」が生きるとか死ぬとか色んな事を考えてしまう。そう今日のタイトルにある「生きている実体」とは一体何なのか?ということである。夜中寝ている時に確かに夢はみるけど夢を見ない日もある。夢を見ないときは死んでいる状態に近いのだろうか?わからない。しんどい仕事をやり遂げた時に感じる達成感は生きていることの証になるのか?わからない。どれもこれも吹けば飛ぶようなものばかりで結局自分の中に生きている何かは残らずに日々過ぎ去っていく。昔のように給料袋にお金がドサッと入っていて目に見える形で支給されれば生きている感覚を得られるのだろうか?わからない。人から感謝されれば嬉しい。じゃあそれで生きている実感は得られるのか?少しは得られるだろう。でも正確なところはわからない。SNSに投稿して反応があれば嬉しいし認められた感じがして生きていて良かったなと少しは思えるかも知れない。いや実際思っている。でもそれもすぐに流れ消えていく。仕事は変わらずいつもと同じ調子で任されこなしていく。それなりに大変だし気苦労も多い。生きている実感がそこにはある。でも果てしなく広い荒野に佇んでいる感じが時々する。何に向かって何のために仕事をしているのだろうか?と。そして生きている実感を得ようとやみくもに無謀なチャレンジをする。現実の厳しさにやられ撃沈する。そこでぼろぼろになりながら生きている実感を得る。でもそれも時間が経てば忘れ去られる。また生きている実体は何なのかと問う日々がやってくる。僕はもうじき50歳になるわけで、やっぱりこの問を解けずに50歳になりそうだ。みんなどうおもって生きているのだろう。人間ってどうしてこうも悩むのだろう。そしてわからないことばかりだ。わかっていることの方が少ない。ああ、仕事に行く時間がやってきた。