
12月に入ってから仕事も私生活も結構いい具合ですすんでいる。今日なんかは長年手つかずだった寝室の大掃除に取り組んだ。取り組んだと言うよりも取り組めた、というできたことの方が驚きだった。よくそんなエネルギーがあったものだ。12月以前だったら僕にはそんなエネルギーはなかった。いつも暗い顔をして未来を憂い今を直視せずあらぬ方向へとエネルギーを発散させていた。
そんな暗黒の自分が12月に入ってこうも前向きにいろんなことに取り組めるようになったのは、ひとえに服薬の変更がなされそれが覿面(てきめん)今の自分に合ったからだと思う。そう、活動を促進する薬から心を安定させる薬にに変更になったことだ。12月1日に服薬変更があって、それ以降の手帳メモには「結局これまでの自分は何だったのだろう?」とか「あれほどエネルギーを傾けていた転職にまったく関心がなくなった」とか心の変わりようがはっきりと書かれている。他にも変わったこととか、新たに気持ちが向き始めた領域などいろいろ変化した要素はあるのだが、ここでは全ては書ききれない。
大きなくくりとして言えるのは、外の世界に物怖じしなくなったことだ。仕事にしても生活にしてもそう。これまでは仕事にもビクビクしていて私生活でも外社会との接点を極度に避けていた。でも今はそれが真逆に作用している。仕事では少々の大変なことがあっても「何とかなる」「明日は明日の風が吹く」と思えているし私生活では体や思考を実際に外へ放り出して動かしている。それはウォーキングであったり、新しい服を買ったり、人と積極的に関わろうとしたり、色々ある。やはり心の安定に軸をおいた服薬の変更がピッタリ当てはまったのだろう。心療内科の先生には本当に感謝しかない。10年通院してやっと巡り合うことのできた心安定した日々。でも全部が全部服薬変更だけだとも思わない。睡眠をしっかりとることのできる生活、そして心の安定にすごく寄与している収入面、あとは手帳書きによる自分自身の客観化、などが挙げられる。どれもこれも僕が意識して大事にしてきたものだ。
12月以前の自分は内なる自分の存在が極度に弱っていてそれを自分でどうすることもできずにいた。そしてその弱さを軽減させるために外の世界を利用しようとしていた。ドーナッツみたいなものである。中は空洞で外に意味をもとめていた。だから無限ループ的に外の世界へ何かを求めてしまっていた。でも結局自分という核は何も強化されず宙ぶらりんのままだった。それが今回の服薬変更でまずは自分自身という心の中心部分が安定化され落ち着いた。だから外へ向かっていっても自分という核がしっかりあるので外の世界も自分自身が引き受けることができるのだ。今はそんな状態なのだ。
40代をうつ病とともにすごして10年が過ぎ今50歳になった。50歳になった今ようやく心の安定状態にたどり着いた。長かった。これまでとにかく右往左往してきたが、40代の後半で断酒にとりくみ手帳書き、日記書きを始め、それまでないがしろにしていた自分と向き合い、結果自分を大事にすることを学び、更に自分を信頼するというところまでやってきた。50歳になってようやくとも言える。でも振り返ってみるとどれもこれも無駄なことはなかったと思うし、50歳になった今だからこそ分かったというのもあると思う。
心療内科の先生を信頼し通院し続けた。遠方にあって通院に心折れるときもあったけど、このうつ病というのが一筋縄でいかないものだと理解し自分ではどうにもならないと思っていたので専門家に身を委ねよう、力を借りようとやってきた。12月以前もメンタルの浮き沈みはあったもののちょっとした変化でも先生に相談した。だから何度も薬の微調整があった。12月1日のそれは大幅なものになって、結果それがすごく良い効果をもらたしたのだけど、とにかくちょっとした変化を素直に先生に相談するというスタンスが良かったのだ。そういうスタンスだったから変化に対応できた。ちょっとした変化を見逃していたら服薬変更まで至らなかったと思う。
片付いた部屋をみながらそう思った。今は内なるエネルギーが満ちていて、それがきちんと外へ向いている。まずは内なる自分がいて、その次に外なる自分が存在する。この状態が長く続くことを切に願っている。そのためにはちゃんと薬を飲むこと(当たり前だけど)、しっかり睡眠をとること、適度な運動をつづけること、だ。それらを大事に守ってやっていけば大丈夫、生きていける。