
まず、エリック・ホッファーという人を知った経緯から。それは本当に偶然の出来事だった。Twitterのタイムラインに「おすすめ」で哲学系の書籍として紹介されていたのがタイトルにある自伝だった。ただの自伝だったたら見過ごしていたと思うが、そこには在野において独学で勉強し哲学を極めた人物とあった。さらに季節労働者として放浪し晩年は港湾労働者として働いた、とあった。すごい人だ、と直感的に思った。そして今の自分とすごく重なる部分があってシンパシーを感じた。これは読んでみるべきだ。税抜で2,200円もするのでかなり勇気がいったが生来本には遠慮なくお金を投資することにしているので直ぐに購入した。そして早速届いたものを読んでみた。
1902年にニューヨークのブロンクスに生まれている。7歳になった時に母を病気でなくし自身は失明をしている。しかし15歳で突然視力が回復。18歳で父を亡くし天涯孤独になる。それ以降ロサンゼルスへ渡り様々な仕事に従事する。仕事をしながら図書館に通い大学レベルの教養を身につける。28歳の時に自殺未遂を行っている。未遂後カリフォルニアに渡り季節労働に従事する。41年からは港湾労働に従事している。その間数々の著作を発表し大学の非常勤講師も務めている。大学の職を得るも常に気持ちは労働の現場にあった。83年に老衰のため没している。
来歴からして眼を見張るものがある。ドイツ系移民の子として生まれ、父親は相当知的な素養をもった人で書棚にはドイツ語の本や英語の本がぎっしり並んでいたという。ホッファーはそういう知的な環境において幼少期を過ごしたこともあり、晩年ドイツ語と英語を駆使して植物学を学んだ経緯がある。その知識は実際にレモン栽培における助けとなっており、ホッファーの名声を一気に高めた出来事であったりした。ただそういう知識を得て実際に活かしながらも、そこに自身の定職をもとめるでなく、常に自由な立場で仕事ができる季節労働にホッファー自身もどっていくのであった。この本においてもたくさんの季節労働者の固有名詞が出てくる。気立ての良い労働者仲間であったり、たくさんの知識と経験をもっていながら季節労働者として働く人達の姿が克明に描かれている。いわゆる世間一般的に言う労働弱者についてホッファーはこう語る
ともかく、この放浪者と開拓者の親縁性の発見は、私の心を強く捉えた。それから何年もの間、この発見は、表面的には放浪者にも開拓者にも関係ない多くの考察と絡み合い続け、それまで関心をいだくことがなかったテーマについて考えるよう、私を導いたのである。そして、人間の独自性とは何かという根本的な問題に突き当たったのだ。
エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー著 中本義彦訳(作品社)より
自分と同じ季節労働者たちの素性を知るにつれホッファーは考察を深めていく。ホッファーは言う「人間という種においては、他の生物とは対象的に、弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」と。この点はホッファー自身も言っているところのニーチェの超人論とは対照的な考えである。そしてホッファーは以下のように締めくくる。
弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ。われわれは、人間の運命を形作るうえで弱者が支配的な役割を果たしているという事実を、自然的本能や生命に不可欠な衝動からの逸脱としてではなく、むしろ人間が自然から離れ、それを超えていく出発点、つまり退廃ではなく、創造の新秩序の発生として見なければならないのだ。
エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー著 中本義彦訳(作品社)より
おそらくこういうことだ。自然本来の強弱で言えば弱いものは淘汰され滅んでいく。しかし人間においては実はそうではない。季節労働者という弱い立場に追いやられて、淘汰されていくように見えても、実はそれは弱いから流れていくものではなく、弱くなりつつも強くある、ということを表しているのだ。自然界ではとっくに滅びてしまっているような存在が、人間世界では滅びるどころか強く生き延びて社会を作っている。そこでは決して負けているわけでも勝っているわけでもない。生きていく生命の本質がそこにはあるのだ、と。ホッファーはそれを独自性、と表している。多分ホッファー自身が生活した時代背景というのも当然あると思う。しかし現代に通じる普遍性をもってはいないだろうか。
弱者に存在意義を与えたという意味でホッファーの考えはすごく価値があると思う。そしてそれが今日まで生きながらえた要因なのだろう。そして私の現在のあり方とも通ずるホッファーの人生。常に現場仕事に出つつ、そこで哲学を強いられている。現場からしか哲学は生まれない。そんな思いを抱いている私にとって、ホッファーの生き様はすごくシンパシーを感じる。ああ、こんな生き方もあるのだなあ、自分もまだなんとかやっていけるなあ、と思っている次第だ。