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最初のブログ投稿

「Be yourself; Everyone else is already taken. (自分らしくあれ。誰かの役になろうとしても、そこはすでに埋まっているのだから)」

オスカー・ワイルド

これは私の最新ブログでの初投稿です。この新たなブログはまだ立ち上げたばかりです。これから充実させていきますのでぜひご注目を。以下で購読をお申し込みいただくと、新しいブログ投稿があったときに通知をお受け取りいただけます。

現実をみよう

ここ数日ちょっと世間から離れ異世界を彷徨っていた。それはとあるサクセスストーリーに影響されたこともあり、おっちょこちょいな僕はまんまとそのストーリーに飲み込まれてしまった。

「俺も副業で一旗挙げられる!!」

とスイッチが入った。馬鹿である。そのサクセスストーリーの語り手はすごく話も上手だし聞いている僕は「がんばれば俺でもできる」という錯覚に陥ってしまった。今がんばっていないのは自分で、まだ頑張れる余地はあるわけだからその人と同じことをやれば僕も成功するはずだ。なんかすごくワクワクしてきたりしていた。生来の即行動的性格な自分はもう動いていた。

「不動産投資をしよう」

そして即、不動産会社に電話をしてしまっていた。行動が早い。早すぎる。中古の戸建てを見学する日時まで決めてしまっていた。今ある貯金といくらか分の追加をすれば購入できなくもない。算盤を弾いていた。「行ける。」「あとは会社が休みの時に資材を運んで自分でリフォームしよう」とイメージは膨らむ一方だった。そして幸せだった。なぜなら未来の自分は大金を手にして勤め人を卒業して悠々自適に暮らしているわけだから。

「?」

「いや、まてよ」

「おれ、リフォームとか好きか?」

「うん、好きじゃない」

「会社が休みの時にやるといっても労力は一人ぼっちだ」

「それで自立できるようになるには単純に今の数倍の労力でとりくまないといけないな」

「プロになって稼ぐって生半可な気持ちじゃできない」

と冷静になって考えた。そして不動産会社に断りの電話を入れた。現実をしっかり見ることにした。僕はそもそも商売に向いている性格ではない。がめつさもない。ストイックになる気力も体力も正直ない。今の仕事で手一杯だ。確かにそうやって成功した人がいる。それはほんの一部の人だからこそ情報として需要があるのだ。僕みたいな凡人には所詮そういうことは無理なのだ。「ほれみろ、そうやって諦めるからだめなんだ」と聞こえてきそうだ。おっしゃるとおり。でも諦めたんじゃないんだ。自分の力量をちゃんとわかって決断したのだ。しょせん僕とは住む世界が違うところの話だった。

さあ、僕は今の仕事しながら本を読んで、病気を治しつつ日々を大事に生きていこう。でも、アマチュア無線(7Mhz)のアンテナを建てられる戸建て物件は欲しいな。趣味でね。

自分の直感は意外と当たる

「これはなんか自分とは合わないなあ」とか「なんか違和感を感じるなあ」ということが時々ある。それは何かをやろうと決断して実際に動こうとしている直前に降りてきたりする。頭を振ってそんな思いを振り払おうとするのだけど、雨に濡れてくっついた落ち葉のようになかなか剥がれない。すっきりしないのだ。

こういう思いを引きずったまま邁進してしまうと、殆どの確率で行き詰まってしまうのだ。こういうことはこれまでの経験で何度も味わってきていることだ。なので潔く中断するか、完全にやめてしまうことが良い。おそらくこういう違和感を感じてしまう要因としては、わかりやすく言えばその分野についての勉強不足があげられる。不安や違和感を感じるということは単に情報が不足しているからだ。

勉強不足ということは、正しくいうとその分野に興味関心があまりない、と言える。自分にそんな言葉を向けるのが嫌だから「合わない」とか「違和感がある」とか違った表現をしているが、実はそういうことなのだ。興味関心がないと素直に認めればその他邪念は追い払うことが出来る。そうすると無理に勉強する必要もなくなる。好きなものは放っておいても勉強するのだから。

テレビのない生活10年。

一人暮らしをはじめてからこの方ずっとテレビのない生活をしている。いわゆる地上波によってオンエアされる民法各局ならびにNHK第一、第二は僕の生活において「見ない」ものになっている。テレビが無いからと言って特段困ることはこれまでなかったし逆にテレビを見ないから特に良いということもなく結果、可もなく不可もなしということだ。

なのでとりあえずテレビを見る、という習慣がない。帰ってきてすぐにテレビを点けることもない。もちろん時間を指定して好きなドラマをみることもない。久しぶりの映画なんてのもみない。何をしているかというと、Twitterでニュース的なものを把握し、ユーチューブで好きなユーチューバーの動画を見る。それも15分から30分ぐらいなのであとは自分の時間を過ごす。本を読んだり日記を書いたり、ジャーナルしたり。

10年間テレビがなくてもちゃんと生きてこれたので、テレビはそんなに必要ないものなのかな、と思う。必要なのは必要な時に自分から情報を取りに行くすべを持つ(ネットなどで)ことだと。職場で子どもたちがテレビをみていると、結構おもしろかったりするのでテレビの良さもある程度はわかっている。でも僕の生活にはやっぱり縁がなかったなあ。

新しいことを始める

新しいことを始める。これほど躍動的で楽しい響きのある言葉はない。もちろん新しことだから全く予想もつかない展開が待っている。でもやり始めないと何も始まらないから始めるのだ。これと同じことをタンクローリーの仕事を始める時にも感じた。新しいことに取り掛かるのはとても勇気がいる。決断したあとはしばらく手が震えている、そんな感じだ。

良いと思ったことはとりあえずやってみる。やってみてから色々と悩みそして考える。失敗してもそれは成功の元なのだから遠慮なく失敗すればいい。生きていればなんとかリカバリーできる。タンクローリーの仕事に転職した時も正に無謀そのものだった。他人からすれば僕の行動は正気を逸した行動だったと思う。でも決断したのは自分だし責任を負うのも自分だし、結局半年で辞めてしまったけど一人で配送できるまでにはなった。やりきった。そしてあのときの経験が糧となり今がある。

今、今という時間を大事にできなければ何をやっても無為だと思う。今やりたいことを素直にやることが大事だ。さて、どんな展開になるか。それにしてもやっかいなのは楽しいことができると読書に手がつかなくなってしまうことだ。今は致し方あるまい。

宅地建物取引士という資格は僕にとっては何の意味があったのか

押入れの中の「大事なものボックス」という名の何でも詰め込む実に便利な箱に一枚の証書が仕舞ってある。

「合格証書 氏名 なお坊主 生年月日 1970年○月○日 宅地建物取引業第16条の2第一項の規定による〇〇県知事の委任に係る平成26年度宅地建物取引主任者資格試験に合格したことを証する 平成26年12月3日 一般財団法人 不動産適正取引推進機構 理事長〇〇〇〇」

平成26年だから今から約6年前になる。僕は離婚したばかりで公団で一人暮らしをし始めた頃だった。正確に言うとこの宅地建物取引士に合格するのに2年間勉強したので、勉強をし始めたのが平成25年だった。平成25年の試験は不合格で次の年の平成26年10月の自身2回目のチャレンジで合格した。

このブログでも書いている通り僕は福祉業界で長く仕事をしてきた。なので正直この宅地建物取引士という資格は僕の生活には必要のないものだった。じゃあなぜ?なぜこの資格を取ろうと思ったのか?1つには、僕はそれまで試験という試験が大の苦手だった。試験という試験は避けて生きてきた人生と言っても過言ではない。そんな人生を振り返った時に「ずっとこのまま試験から逃げても良いものだろうか?」とふと思ったのだ。だからどんな試験でも良かった。ただ、受験資格(要件)を求められるものは面倒くさかったので、誰でも受けれるこの資格にしたのが1つ。

もう1つは、福祉の仕事をずっとやり続ける自信が無くなってきていた。体力的にも精神的にも限界を感じつつあったのだ。このとき年齢は42歳ぐらい。福祉の仕事にあぶれても食っていけるように何か資格を持っておいたほうが良いだろう、そう思った。新聞広告やネット広告でもよく目にしていたのが宅建こと宅地建物取引士の資格だった。単純にこの資格さえもっておけばなんとかなる、というぐらいの気持ち。それが2つ目の動機。

40代に入ってから僕はずっとうつ病で今日まで過ごしてきた。なのでこの資格の勉強をしていた時もしっかりとうつ病だったし、お酒も毎日結構飲んでいた。アルコール依存症の真っ只中。実は3つ目の動機というのが、このお酒にまつわる理由であって、お酒を飲む時間を減らすために勉強をするということだった。何か強制するものをもたないとひとりで生きていくことが難しい、そう思ってのことだった。

今にして思うに、この資格をとるために費やした2年間というのは何だったのだろう?と。国家資格に合格したという自信はついた。試験勉強のノウハウも身についた。自分でもやればできるという少しの自信がついた。しかし、もう50歳になろうかという僕にこの資格を使って仕事をしていくということは無いだろう。福祉の仕事にもあぶれることなく逆にしがみついて仕事をしている。勉強した知識も今ではもう殆ど頭の中に残っていない。結論「よくわからない」というのが答え。

起こってから心配をする習慣を

生まれてこの方ずっと心配性の性格をもってこの歳まで生きてきた。齢(よわい)49歳。とにかく明日のこと次のこと何でもかんでも心配になってしまうのだ。バカが付くぐらい。この性格をなんとかしたかった。せっかくの休日も次の出勤のことが気になって落ち着かなくなってしまうのだ。当然休んだ気がしない。

考えてみればすぐ分かることだが、未来のことをあれこれ思い悩んだって必ずそのとおりになるわけでなく、結果はそんなに思っていたほどたいしたことなく過ぎ去っていくものだ。もしかしたら心配している自分に酔っているのかも知れない。そう思った時に馬鹿らしくなってきた。心配するだけ損だ。

なので最近ではこう思うことにしている。

「起こってから心配しよう」と。

これは半ば強制的にそう思うことにしている。これまで長年心配ばかりしてきたのでそう簡単には性格を変えることはできない。だから未来のことをあれこれ思い始めたら手帳を開いて「起こってから心配しよう」と書いて、読んで、それを目に焼き付けて脳に伝達させるようにしている。

あとはとにかく思いや悩んだ時は①温かい風呂にはいる。②しっかり寝る、でだいたいは解決する。あとは③で、とにかく悩む前に身体を動かす。これら3つのことでだいたいは解決することがここ1年半ぐらいの振り返り(手帳とか日記とか)でわかってきた。振り返りも大事。

さあ、いろいろと考える前に今を生きよう。

長い道のりのほんの最初の一歩

「とんでもない目標を立ててしまったものだ」と大げさながら思ってしまう。どんな目標かと言うと「プラトン全集を全部読破する!!」というものだ。机の奥にずらっとならぶ全集。圧巻である。圧巻すぎる。「これ果たして自分は読み終えることが出来るのだろうか?」と思ってしまう。

確かにプラトンの著作はほとんど対話篇というもので構成されていてぱっとみ読みやすさを感じてしまう。しかしそうは問屋が卸すわけもなく、その実内容は超絶難しいのだ。ギリシャ語で読めるならそれが分かりやすいのかも知れないが、僕はギリシャ語は全く出来ない。なので日本語訳を読むことになる。こんなにも日本語って難しかったかな?と思わされるぐらい日本語も難しい。そもそもこういうプラトンの本を読むには僕の知識では無理なのではないかとだんだんと読み進めていく内に自信が喪失されていく。

いや、まて、そもそもプラトンの著作というのは一つの学問として成り立っているぐらいのものだから難しいというか奥が深いのは当然だ。僕が読んでいて難しいと感じることも自信がなくなることも当然といえば当然なのだ。だからそういう前提で焦らずに読んでいこうと思うことにした。

(7月9日現在読了したプラトン著作リスト)15

  • 国家
  • 饗宴
  • パイドロス
  • ゴルギアス
  • プロタゴラス
  • パイドン
  • ラケス
  • ソクラテスの弁明 クリトン
  • リュシス 恋がたき
  • メノン
  • テアイテトス
  • テアゲス
  • カルミデス
  • エウテュプロン
  • クラテュロス

(未読のものリスト)22

  • ソピステス
  • ポリティコス
  • アルキビアデスⅠ
  • アルキビアデスⅡ
  • ヒッパルコス
  • エウティデュモス
  • ヒッピアス(大)
  • ヒッピアス(小)
  • イオン
  • メネクセノス
  • クレイトポン
  • ティマイオス
  • クリティアス
  • ミノス
  • 法律
  • エビノミス
  • 正しさについて
  • 徳について
  • デモドコス
  • シシュポス
  • エリュクシアス
  • アクシオコス

『クラテュロス』プラトン著 水地宗明訳(岩波書店)から抜粋しただけのもの

ソクラテスの全財産はクセノポンによると(家と家財道具を含めて)5ムナ(500ドラクメ)くらいだったという。*1ドラクメが小麦17リットルぐらいに相当(7)

事物はわれわれとの関係において(相対的に)有るのではなく、またわれわれの表象によって上へでも下へでも引き回されるというふうに、われわれに依存しているのでもなくて、それ自身において、それ自身の固有の有り方に従って、本性的に定まっている仕方で存在するのである。(14)

従って名付ける場合もーさっき言われたことに一致するように言おうとするならばーわれわれの欲するままに名付けるべきではなくて、事物を名付ける作用と事物が名付けられる作用の本性に合うしかたで、本性に合う道具を用いて、名付けるべきではないだろうか。そしてそのようにするならば、われわれはそのことに成功し、名づけたことになるだろうが、そうでないと反対の結果になるのではないだろうか。(17)

してみると名前は一種の教示的な道具であり、そして事物の有り方を区別する道具であるわけだ。(20)

してみると教示の技術を持つ人が名前を使うときには、立法者(法律、慣習を制定する者)が作ったものを使うのだろうね。(21)

つまり(製作者はそれぞれの用途に)本性上適した道具(の形)を発見して、それを、道具がそれから作られるところのもの(つまり材料、素材)の中に与えねばならないのだ。何でも彼自身の欲するようなものをというのではなくて、本性上適しているような道具(の形)を、ということだ。(23)

ヘラクレイトスは「すべては去りつつあり、何ものも止まらない」と言っているね(61)

してみると名前とは、模倣される対象の音声による模造品である。そして音声で模倣する人は、何であれ彼が模倣するところのものを、名づけているわけなのだ。(121)

なぜなら彼は、僕の思うに、rの字の発音に際して舌が(他の場合に比して)静止することの最も少なく、震動することの最も多いのを看て取ったからなのだよ。それだからこそ彼は、これらのことを表すのに、この字母をしきりに用いているのだと、僕には思えるね。(131)

もしこれらの名前を定めた人たちが、万物は常に行きつつあり流れつつあると本当にそう考えて命名したのであるならばーというのは、僕には実際彼ら自身もまた(もっと後世の、はっきりとそう言った詩人や思想家と同様に)そのように考えていたらしく見えるのだがねーそして他方、事実(万有の実相)はもしかしたらそうではないのであって、むしろ彼ら自身がいわば一種の渦巻の中に落ち込んで、くらくらと目がくらんだばかりでなく、われわれまで巻き添えにして同じ所に引きずり込んだのであるならば(あの大多数の名前がわれわれを欺く恐れがあるのだから)ね。そこで、さあ、驚嘆すべきクラテュロスよ、ぼくがしばしば夢見てきたものを、考察してくれ給え。どちらだね、何かそれ自体で美しいものとか、それ自体で善いものとか、その他有るもののそれぞれについても同様だが、そのようなものが存在すると、われわれは主張すべきかね、それとも否かね。(166)

美自体、美のイデア(167)

しかし、もし一方において認識するもの(認識の主体)が常に存在しており、他方において認識されるもの(客体)が常に存在しており、美が存在し、善が存在し、もろもろの有るもののそれぞれが(常に)存在しているのであるならば、われわれ(ぼく)が今あげたこれらのものは流動にも運動にも全然似ても似つかぬものであることが、僕には明白だね。(169)

『クラテュロス』プラトン著 水地宗明訳(岩波書店)より

(感想)読んでみたもののやはり理解には程遠い。なので今回はマーカーを引いたところをそのまんま抜粋した。紀元前の時代に言語学とかそういう分野がないにもかかわらず未開の分野に分け入り哲学で解き明かそうとしたプラトンのすごさを感じた。それぐらいの感想しかない。なぜなら理解できていないから。さて、もう一度読み直そう。

街中をみるにつれ覚悟が深まっていく

ソーシャルディスタンス。もうすっかり生活に定着してしまった感がある。そして各所にシールド用のビニールのカーテンやプラスチック板がしっかり設置してあるのをみると、社会はこの新型コロナウィルスを簡単になくなるものだとは思っておらず長期戦を覚悟したのだなあと思う。

いろんな情報が飛び交う中でワクチン開発が進んでいるとかそうでないとかで一喜一憂したりする。Twitterとかでたくさんの情報が入ってくる。なんとなく「早く収束するのでは」と思わされたりする。でも一番確実に状況を知れるのは私たちが生活する場所や空間だ。映画館やスーパーが設備を本格的に新型コロナウィルス用に変えているのをみると、これ本気なんだということがわかるし簡単に収束するとは考えていないことが伝わってくる。

本当に新しい生活様式とやらをやらないといけなくなったのだなあ、それも長期的に、と何やら複雑な気持ちになる。経済活動における社会変容は見事にスピーディーだ。もう後に戻ることは出来ない。社会が変容していくにつれ私たちも変わらざるを得ない。まだしばらくの間は模索が続くだろうが、かならず折り合いがつくだろうと思っている。

2400年前のギリシャ時代にも当然疫病は流行ってたくさんの人が死んだはずだ。でもそんな状況の中でも人々は生き延び現代までつづく哲学を残してくれた。そこになにか人類の知恵のようなものがあるはずだと思っている。なので僕は引き続きプラトンを読んでいくつもりだ。

断酒をして今日で900日目

「先生お酒をやめることが出来ないのです。助けてください」と言ったのがちょうど900日前の今日。その日僕は心療内科の診察室にいて先生に泣きついていた。もう自分ではどうしようもできないという思いからだった。

確かあの時はひどく酔っ払っていて記憶も曖昧なまま帰宅したのを覚えている。何かしでかしたことは薄っすらと覚えていたが眠気に勝てずそのまま倒れるように寝てしまっていた。こんなことは日常茶飯事だった。「また何かしてしまったのか?」という後悔も毎度のことだったが、その時はさすがに「やばい」と思って流すことができなかった。どうしても思い出せないのだ。明らかにまずいことをしたはずなのに。そして湧き上がってきたのが「このままだと本当にまずい状況になる。」との焦りの気持ちだった。このままだと仕事も生活もすべて失ってしまう。そうなると子どもへの養育費も払えなくなってしまう。子どもが困ってしまう。なんとかしなくては。もうお酒に飲まれる生活から足を洗わないといけない、と強く思った。

そしてもう自分ではどうしようもできないと判断をし、最初の診察室のシーンに戻るのだった。先生は僕を射るような眼差しで見つめながら「わかりました。薬をだしましょう。今日から一滴も飲んではいけません」と厳しく言った。僕は静かに「わかりました」とうなずくのみだった。その日から900日。断酒して最初の1周間は本当に苦しかった。炭酸水やコーラでなんとかしのいだが、1週間後からは平気になった。それと同時にぐっすり寝られるようになって、その爽快感にはっきりと効果を感じるようになってきた。

900日が長いのか短いのかわからない。一つ言えるのはお酒を止めたその日からうつ病の治療が本格的に始まった。なぜなら睡眠がしっかりとれるようになったから。900。それは再生に向けた上り階段の段数なのだ。